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あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 


New Juggler Sound 1967:
(左上から時計回りにManuel・Alberto・Saúl・Eddy・Alex)

今回はLaghonia/New Juggler Soundの、プライベート録音を中心とした未発表音源が収録されたCDなど、レアトラックを紹介します。

当時、彼らは100曲ものオリジナルを書いたと豪語するだけあって、プライベート録音でかなりの曲を残しています。
それらの録音は、長年メンバーの家で眠っていたため、音質はあまり良くないものの、当時のペルーのシーンにおいての彼らの先進性を証明する、非常に貴重な音源です。

それらの録音の、おそらく一部ではあるものの、04年・13年に2種のCDでリリースされて、聴くことができるようになりました。

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Unglue (ペルー Repsychled CD 1001)`04

1 Neighbor (inst)
2 The Sand Man
3 Billy Morsa
4 Trouble Child
5 My Love (original acoustic ver)
6 And I Saw Her Walking * Saul on vocals.
7 Glue
8 Glue (jamming)
9 Bahia (fast ver)
10 Outro
1~10…Glue's rehearsal tracks

11 World Full Of Nuts (backing track/final take)
12 The Sand Man (EP ver)
13 Chocolate Houses [S.Cornejo-M.Cornejo](unreleased)
14 Confusion In The Street [S.Cornejo-M.Cornejo](unreleased)
11~14…bonus tracks

「Glue」収録曲を中心にした、68~70年のリハーサル音源集。
Cornejo兄弟の自宅での録音のため音質はあまり良くないものの、アコギのみの演奏の5や公式録音ではDavidが歌っている6をSaúlが歌っていたりと、彼らのレコーディングの過程を垣間見るドキュメントと言える内容です。
1~10までが「Glue」関連の音源で、11は70年のシングルのバッキングトラック。
12はEP用オリジナルロングバージョンで、「Glue」収録バージョンの倍の長さで、サビのコーラスを外して1回目のソロが終わったところでフェイドアウトさせてアルバムに収録されています。
13・14は未発表曲で、本編よりさらに音質が悪く、13は少しジミヘン的なファンキーな楽曲でなかなか良いですが、パーティーで録音されたという14は、かなり粗削りで混沌とした演奏です。

日本のものよりも一回り小さいゲートフォールド仕様の紙ジャケですが、サイズが小さいのでジャケにディスクを入れることができず、紙スリーヴに入れてジャケで挟むしかないというかなり雑な作りです。
こちらは日本でもわりと流通していると思います。



【“Laghonia/New Juggler Sound(Peru) ③未発表音源CDについて”の続きを読む】 このページのトップへ
Davidが別人みたいです(笑
Los Mac's 1966(LtoR:David・Carlos・Eric・Willy)


前回のLaghoniaを聴き直す時に、一緒に取り出して聴いていたLos Mac'sの記事を、ほぼ全面書き直しで改めてうpしました。
以前書いた記事は削除しました。

Los Mac'sは、62年に首都サンティアゴに程近い港町ヴァルパライソで、David(G.Vo)&Carlos(B.Vo) MacIver兄弟を中心に結成。
65年に本格的に音楽活動をするためにサンティアゴへ移住、チリで最も最初に登場したビート・グループの一つ、Alan Y Sus BatesのメンバーだったWilly Morales(G.Key.Vo)、そしてEric Franklin(Ds)が加入。
ちなみに、グループ名はMacIver兄弟のファミリーネームが由来です。


同年、RCAと契約してデビュー・シングルをリリース。
66年には1st「Go Go /22」を、翌67年には2nd「GG Session by The Mac's」と、コンスタントにアルバムをリリース。
この2枚のアルバムまでは基本的にカバーがほとんどで、アルバム中の1曲やシングルの片面で自作曲を少しという感じだったようですが、そんな彼らに転機が訪れます。

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Los Mac's early 1967(LtoR:Eric・David・Willy・Carlos)

67年に登場した「SGT.Pepper's~」衝撃を受けた彼らは、サイケデリック・ムーブメントに大きく影響を受け始めました。
上の画像は2nd「GG Session by The Mac's」ジャケからのものですが、すでに66年までとはかなり雰囲気が変わっており、特にDavidは別人かと思うほどルックスが変わっています。
また、「GG Session~」の少し後にリリースされた、レーベルメイトでもあるLos Vidrios Quebradosのアルバム「Fictions」の完成度の高さにも大きなインスパイアを受け、自分たちのオリジナル曲でまとめたトータル・コンセプト・アルバムの制作を決意しました。

レコーディングの前に、サウンドを進化させるためにRCAにハイクオリティーな機材の購入を依頼、Fenderのアンプ類、Willyは白のストラトキャスター、DavidはGibsonのセミアコESのステレオアウトプット仕様を購入。
この時に入手したギターは、ちょっと見えにくいですが68年の4thアルバムのジャケットで見ることができます。
DavidのステレオアウトプットのESは、ネックのインレイとテールピースがブランコではなくアーム仕様のものに見えるので、おそらくES355だと思います。
色はさすがに判別しきれませんが、おそらく定番のチェリーレッドかと思われます。

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from 4th album

新作のレコーディングでは、今までと違いオリジナル曲を中心に収録し、曲によって同郷のソングライター Gitano Rodríguez・Payo Grondonaらと共作して、楽曲のクオリティを磨き上げて行きました。
ちなみに、このセッションでレコーディングされた「Dear Friend Bob」はレーベルメイトでWillyと友人同士だったLos Vidrios QuebradosのリーダーJuan Mateo O'Brienとの共作で、彼はこの曲のセッションにも参加しています。

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Los Mac's late 1967(LtoR:David・Carlos・Willy・Eric)

こうして完成されリリースされたのが、67年の終わりごろにリリースされた「Kaleidoscope Men」でした。

現在での評価が物語っているように、このアルバムの完成度は非常に高く、キラキラしたギターにエフェクトをかけたオルガンが散りばめられた、タイトルどおりの万華鏡的な音絵巻です。
少なくとも、僕が聞いてきた範囲でも南米60'sに限らず、世界レベルでのサイケ名盤の一つだと確信します。
しかし、当時チリのリスナーの反応はよくなかったそうで、当時のほかの国でも同じような感じだったみたいですが、ダンスに最適なビートを求めていた連中には支持されず、売り上げは思わしくなかったそうです。

このことに、機材を含めて多額の予算をかけたRCAも、気合を入れて制作したメンバーも落胆しました。

68年には4thアルバム「Los Mac's」をリリースしましたが、オリジナルで固めた前作の売り上げが思わしくなかったせいか、カバー曲を入れるよう要求されたようで、「Kaleidoscope Men」の次作としては散漫な内容になってしまったようです。
この4thアルバムに収録された中で2曲ほど聴いたことがあるのですが、前作のスタイルを継承した素晴らしいできばえで、オリジナルで固めていたらもう一つ名盤ができていたのではとさえ思います。

4thアルバムリリース後、「Kaleidoscope Men」評価されなかったことに幻滅した彼らは、フェデリコ・サンタ・マリア・テクニカル大学でラストコンサートを行い、ヨーロッパに活路を向けることを決意しました。
そしてイタリアのジェノバへ移住したものの、たいした活動も成果も残せずに、翌年に解散してしました。

しかし、「Kaleidoscope Men」は、現在では非常に高い評価を受けており、トランスワールドビート/サイケファンの必聴盤となっています。

そして、その声はメンバーにも届いたようで、11年ごろからDavid & Carlos MacIver兄弟がグループを再結成。
国内をツアーしつつ、2枚の新作アルバムを制作し、現在も活動を続けています。


【“Los Mac's (Chile)”の続きを読む】 このページのトップへ
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Laghonia early70's
L to R: Carlos・David・Manuel・Alex・Eddy・Saúl

①の続きです。

70年、1stアルバム「Glue」をリリース後、さっそく次のアルバム用のレコーディングに取りかかりました。
しかし、数曲レコーディングしたところでEddyとAlexが脱退。
スピリチュアルな旅に出るためという、当時のヒッピームーブメントを感じさせる理由でした。

残されたメンバーは、Manuelがベースを兼任することでレコーディングを続け、Laghonia名義としては唯一のシングルをリリースして急場をしのぎました。
71年に入ると、サポートメンバーとしてErnesto Samamé(B)と、MagレーベルのオーナーManuel Guerreroの息子Carlos Guerrero(Cho)を加えて、アルバムを完成させました。
リリースされた2ndアルバム「Etcetera」は、それまでの彼らの要素に加えて、Carlos Salomが持ち込んだジャズの要素が加わった、70年代的な多様性を感じさせる優れたアルバムでした。
前作同様、アルバムは高い評価を得ましたが、それに反して売り上げは思わしくはなかったようです。

さらに、アルバムリリース後にDavidがアメリカへ帰国するために脱退。
Laghoniaのサウンドの中で重要なポジションを締めていた、Dividの脱退のダメージはあまりにも大きく、グループは活動を停止しました。

解散時の最終ラインナップだったSaúlとManuelのCornejo兄弟と、Carlos Salom・Ernesto・Carlos Guerreroは、新たにメンバーを加えてWe All Togetherを結成。
Beatles/Paul McCartney直系の、ポップで優れた楽曲を数多く残しています。

その後、Laghoniaは90年代に入ってから世界的に再評価されるようになり、長らく廃盤で超入手困難だった2枚のアルバムがリイシューされ、さらにセッション時のリハーサル音源やデモレコーディング集もリリースされ、現在では彼らの音源の入手が楽になりました。
そして2010年、グループ再評価を受けてSaúl・Manuel・Eddy・Alexの核メンバーが集結して、一時的なLaghoniaの再結成が実現し、国内でライブを行いました。

Laghoniaは、ペルーの伝説的な名グループとして、これからも語り継がれると思います。

(③に続く)


【“Laghonia/New Juggler Sound(Peru)②”の続きを読む】 このページのトップへ

New Juggler Sound late 60's
L to R: Saúl・Alex・Alberto・Eddy・Manuel

1年半ぐらい放置していましたが、久々に更新します。
その久々の更新は、Traffic Soundと並んでペルーの伝説的なグループLaghoniaを取り上げます。

注:Laghoniaは、リリース年などのデータが、資料によって1年前後のずれが多いため、いつも以上に吟味してまとめましたが、不正確な部分がありますので「大体この頃」くらいに捉えていただけたらと思います。


Laghoniaは、Saúl(G.Key.Vo)とManuel(Ds)のCornejo兄弟とEddy Zarauz(B)の3人を中心に、Alberto Miller(G.Cho)とLos Jaguar'sのメンバーだったAlex Abad(Per.Cho)を加えた5人編成で、65年にリマで結成されたNew Juggler Soundが原点になります。

ちなみに、Eddy Zarauzはベースを自分で製作して、70年に脱退するまで愛用していました。1PU仕様で、尖ったマシンヘッドに、バイオリンベースを変形させたようなボディを持ち、偶数フレットインレイにボディ背面側のバインディング、表面の8割くらいを覆った変形ピックガード、ボリュームノブよりもボディ中心に寄ったジャックの位置など、なかなかの出来栄えかつ個性的なシルエットで、当時結構インパクトがあったのではと思います。

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Eddy's hand-maid bass

結成当初は、Beatles・Rolling Stones・Kinks・Yardbirdsなどのイギリスのグループのカバーを演奏していましたが、徐々に自分たちのオリジナル曲を手がけて演奏するようになります。

67年には、美術展で演奏する機会を得て、新聞の三面記事に「ヒッピー、リマを侵略」などと書かれたりして徐々に注目されるようになり、TVやラジオ番組に出演するようになりました。
そして68年6月、RCA Victorからシングルデビューを果たしました。

この頃には、100曲ものオリジナル曲を書きためていたそうです。

2ndシングルのリリース直後に、Albertoが脱退。
代わりに、Eddyは公園を散歩中に知り合った、アメリカ人の16歳の少年David Levene(G.Vo)が加入。
Eddyは公園のベンチに座ってギターを弾いているのを見かけ、そのR&Bフレーバーあふれるファンキーなプレイを気に入って、グループに誘ったのだそうです。

Davidの加入によって、彼らのサウンドは大きく変化し、ポップで時々メランコリックな既存の要素に、サイケデリックでファンキーな要素が加わったサウンドが、彼らの持ち味になって行きました。

同年、彼らを気に入ったMagレーベルに移籍、シングル2枚とEP1枚を立て続けにリリースして、グループを強力に売り込みました。
そして、この3枚のレコードをリリースした後に、Laghoniaをいうグループ名に変更しました。
グループ名の由来は、当時Beatlesが解散間近だと言われていた時期で、
Beatlesに多大な影響を受けていた彼らが、そのことに悲嘆したことがきっかけだそうで、スペイン語での「悲嘆」の「La agonia」をもじってLaghoniaとなったそうです。

そして、グループ名を変えたのと同じ時期に、新たにCarlos Salom(Key)を加入させました。
Carlosはジャズとブラジル音楽に詳しく、作曲にも積極的に関わって、彼らのサウンド志向の変化にも貢献して行くことになります。
また彼は、当時のペルーでは輸入されていなかったHamond B-2オルガンを所有しており、彼の加入によってLaghoniaは、ペルーを含めたラテンアメリカで最初に、レコーディングでHamondを使用したグループの一つとなりました。

当時のラテンアメリカ諸国は裕福ではなかったため、Hamondより安価なFarfisaのオルガンが主に使用されており、Hamondに対して一種の憧れはあったんじゃないかと思います。
ま、個人的にはFarfisaのチープな音色の方が、南米のサウンドに似合うと思いますけどね。

70年、この6人編成のラインナップで新たに録音した2曲と、既存のシングルとEPの音源をまとめた、待望の1stアルバム「Glue」をリリース。
売上自体は思わしくなかったようですが、彼らのサウンドは高く評価されました。

(②に続く)



【“Laghonia[New Juggler Sound](Peru)①”の続きを読む】 このページのトップへ

第3弾は、70年代初頭に録音を残したフォーク・ロック系グループ、AndromeedaとToonikaを紹介します。。

それぞれの曲の後についた番号は、以下の4種のコンピに収録されているという意味です。

①Eesti Rocki Lapsepõlv 1966-1976
Eesti 60ndad
③Biit Piraadid
Biit Piraadid 2

*Andromeeda
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Andromeeda 1969:(L toR)Rein・Touri・Peeter・Jaak・Jürgen

66年夏、タリン第7高校の生徒だったPeeter Randma(Vo.G)・Touri Saks(Ds)と、同校の卒業生のKullo Remme(G.B)の3人がビート・ミュージックを演奏するために結成。
Kulloの家に集まって練習を重ね、結婚式のパーティーなどで演奏したり、デモ録音をするようになりました。
当初はBeatles・Rolling Stones・Whoなどのカバーだけを演奏していましたが、67年ごろからオリジナル曲を手がけるようになりました。

67年春、結婚のためKulloが脱退。
新メンバーとして、Jaak Arulaane(B)・Aarne Rüttel(G)が加入。
さらに68年には、グループ念願のキーボードプレイヤーRein Randmets(Key)が加入。
また、この時期に短期間だけ、のちにガール・ポップ・グループLaineに参加する女性シンガーKatrin Kutšševski(Vo)が在籍していました。

69年にはJürgen Vähi(Vo)が加入、この時期のラインナップでETVの番組に初出演しています。
同年、大幅なメンバーチェンジを行ったようで、新たにPeep Mandre(B)・Priit Pedajas(Key)・Mart Ots(Ds)が加入。

70年初頭には、初のラジオ局でのレコーディングを行い、3時間で8曲を収録。

Andromeedaは、とにかくメンバーチェンジの激しいグループだったそうで、8年の活動期間中に40人近くのメンバーが出入りしたとか(笑
特にドラマーの出入りが激しかったそうで、タリン中のドラマーで、Andromeedaでプレイしたことのない人はいないとまで言われたそうです(笑

ちなみに、出入りしたメンバーたちの中にRujaのUrmas Alenderもいて、Ruja結成前の70~71年の間に在籍し、Black Sabbathのカバーを残しているそうです。

その激しいメンバーチェンジは、グループの活動をゆるがせたようで、74年には解散しました。


楽曲について

1.Langeb Lund (P.Mandre-P.Randma) ①③ `70
2.Minu Vanem Vend[He Ain't Heavy,He's My Brother]①② `70
3.Tuul Käib Tühjal Rannal Ringi (P.Randma-E.Enno) ① `72
4.Suhkrust Saab Õnne (P.Saarna) ① `73
5.Eemale Linnakärast (P.Mandre) ③
6.Vesiviiul (P.Randma) ③

Andromeedaは、末期にはChicagoやBlack Sabbathなどのカバーを演奏していたようですが、残された録音ではおおよそハーモニーを活かしたバラードがほとんどで、実際にカバー2を残しているGraham Nash脱退後のHolliesに近い感じで、フォーク・ロック・スタイルのオリジナル曲はなかなか佳曲ぞろいで、他にも録音を残しているようなので、もっと聴いてみたいグループです。




【“エストニアのグループ(その3)”の続きを読む】 このページのトップへ

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    翻訳・編集に時間がかかるので更新は激烈にスローです(笑
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