あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

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第3弾は、70年代初頭に録音を残したフォーク・ロック系グループ、AndromeedaとToonikaを紹介します。。

それぞれの曲の後についた番号は、以下の4種のコンピに収録されているという意味です。

①Eesti Rocki Lapsepõlv 1966-1976
Eesti 60ndad
③Biit Piraadid
Biit Piraadid 2

*Andromeeda
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Andromeeda 1969:(L toR)Rein・Touri・Peeter・Jaak・Jürgen

66年夏、タリン第7高校の生徒だったPeeter Randma(Vo.G)・Touri Saks(Ds)と、同校の卒業生のKullo Remme(G.B)の3人がビート・ミュージックを演奏するために結成。
Kulloの家に集まって練習を重ね、結婚式のパーティーなどで演奏したり、デモ録音をするようになりました。
当初はBeatles・Rolling Stones・Whoなどのカバーだけを演奏していましたが、67年ごろからオリジナル曲を手がけるようになりました。

67年春、結婚のためKulloが脱退。
新メンバーとして、Jaak Arulaane(B)・Aarne Rüttel(G)が加入。
さらに68年には、グループ念願のキーボードプレイヤーRein Randmets(Key)が加入。
また、この時期に短期間だけ、のちにガール・ポップ・グループLaineに参加する女性シンガーKatrin Kutšševski(Vo)が在籍していました。

69年にはJürgen Vähi(Vo)が加入、この時期のラインナップでETVの番組に初出演しています。
同年、大幅なメンバーチェンジを行ったようで、新たにPeep Mandre(B)・Priit Pedajas(Key)・Mart Ots(Ds)が加入。

70年初頭には、初のラジオ局でのレコーディングを行い、3時間で8曲を収録。

Andromeedaは、とにかくメンバーチェンジの激しいグループだったそうで、8年の活動期間中に40人近くのメンバーが出入りしたとか(笑
特にドラマーの出入りが激しかったそうで、タリン中のドラマーで、Andromeedaでプレイしたことのない人はいないとまで言われたそうです(笑

ちなみに、出入りしたメンバーたちの中にRujaのUrmas Alenderもいて、Ruja結成前の70~71年の間に在籍し、Black Sabbathのカバーを残しているそうです。

その激しいメンバーチェンジは、グループの活動をゆるがせたようで、74年には解散しました。


楽曲について

1.Langeb Lund (P.Mandre-P.Randma) ①③ `70
2.Minu Vanem Vend[He Ain't Heavy,He's My Brother]①② `70
3.Tuul Käib Tühjal Rannal Ringi (P.Randma-E.Enno) ① `72
4.Suhkrust Saab Õnne (P.Saarna) ① `73
5.Eemale Linnakärast (P.Mandre) ③
6.Vesiviiul (P.Randma) ③

Andromeedaは、末期にはChicagoやBlack Sabbathなどのカバーを演奏していたようですが、残された録音ではおおよそハーモニーを活かしたバラードがほとんどで、実際にカバー2を残しているGraham Nash脱退後のHolliesに近い感じで、フォーク・ロック・スタイルのオリジナル曲はなかなか佳曲ぞろいで、他にも録音を残しているようなので、もっと聴いてみたいグループです。




【“エストニアのグループ(その3)”の続きを読む】
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Fix 1972:(L to R)Mart Kuurme・Mart Helme・Väino・Riho・Mait

今回は、エストニアでもっとも成功したグループの一つ、Fixのビート/サイケ期である`68~`72年を紹介します。

1968年10月、タルトゥの地区文化センターをベースに結成。
結成当初のメンバーは、グループの名付け親でもある初期のリーダーMart Helme(B.Vo)、そしてMait Eelrand(G.Vo)・Mart Kuurme(Key.Vo)・Neeme Konsa(Ds)・Väino Land(G.Ds.Vo)の5人。

ほどなくしてNeemeが脱退し、Valdur Tamm(Ds)が加入。
69年にはRiho Lilje(G.Vo)が加わり、6人編成になりました。
しかし今度はValdurが脱退。
70年に入ってから、Madis Vaha(Ds)と女性ヴォーカリストNovella Hanson(Vo)が加入。
Fixはドラムスが安定しなかったようで、同年のうちにMadisが脱退、Väinoが当面ドラムスに固定することになりました。
71年にはNovellaが脱退(82年に一時的に復帰)。

72年6月には、当時のソ連内で初のオープン会場のフェス、エルヴァ・ソング・フェスティヴァルにKogudusらと出演。

その直後、結成時からのメンバー、Mart Helme・Mait・Mart Kuurmeが脱退、Evald Raidma(Key.Vo)・Juhan Sütt(B)・Tõnu Kilgas(Vo)が加入、さらにJuhanが脱退してEnn Seppet(B.Vo)が加入と大幅なメンバーチェンジとなり、オリジナル・メンバーはVäino一人になってしまいました。
調べてもあんまり具体的な記述が見つからなかったのですが、とにかく72年にグループ内に激震が走ったのは間違い無さそうです。

その後、元KogudusのPeeter Väljak(Vo.G)や、現在に至るまでの固定メンバーとなる Vello Toomemets(Vo.Vln)らを加入させてグループを立て直したVäinoは、新たな楽曲をレパートリーにして活動を続けて行き、国家公認グループとなってアルバムをリリースし、現在に至る息の長い活動を続けています。

つまり、68~72年までと、それ以後のFixは別物と言え、メンバーも音楽性も全く異なります。

何か加入と脱退ばっかりの内容になってしまいましたが、調べても68~72年に関しての記述が全くと言っていいほど出てこなかったからで、何か意図的なものを感じてしまいます。

ちなみに、オリジナル・メンバーのMart Helmeは、大使を経て政治家になったとか。



【“Fix [early years `68-`72](Estonia)”の続きを読む】 このページのトップへ

今回は、Gunnar Grapsが関わった2つのグループ、R&B系のビートグループMikronidと、後にソ連内でブレイクするMagnetic Bandにつながる、アート/ハード・ロック系のOrnamentを紹介します。

*Mikronid

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Mikronid 1968:(左上から時計回りに)Tiit・Peeter・Heiki・Toivo・Gunnar・Rein Härma

65年の秋、タリン第42高校の生徒だったPeeter Keäri(B)とToivo Tamm(G)の2人が、西側のラジオで聴いたビート・ミュージックを演奏するために、自分たちのグループの結成を考えたことが始まりでした。

ところが、彼らの学校では同志を見つけることができず、事は暗礁に乗り上げそうな気配でしたが、Peeterの家の隣人で、タリン第16高校に通っていたRein Härmaが加入。
そして2人も強引に第16高校へ転校したそうです(笑
第16高校では順調にメンバーが見つかったようで、すぐに2人の新メンバーが加入しました。
この高校には、OptimistidのギタリストToomas Kõrvitsの弟Tiit Kõrvits(G)、そしてAart Priimägi(Ds)が加入し、グループとしての体裁が整いました。

当初はこのラインナップでShadowsなどのインストを演奏していたそうですが、66年に同じ学校に通うHeiki Johannson(Vo)が加入し、ビート・グループの楽曲も演奏できるようになりました。
しかし67年、Aartが脱退、そしてそれを聞きつけたのか、家族の意向でOptimistidを脱退させられた、ToomasとTiitの弟Harry Kõrvits(Ds)が加入したものの、ほどなくして彼も脱退、 最終的にSatelliididでギターを弾いていたGunnar Graps(Ds.Vo)が加入。

68年4月、エストニア初のビート・フェスがタリンのKosmos Cinemaで開催され、彼らもVirmalised・Poppojad・Kristallidらと出演。
さらに同年秋に、Jüri Linaの手配によってエストニアン・ラジオで初のレコーディングを行い、「Üks Imelik Masin」「Sulle」などを収録。

70年、兵役のためGunnarが一時脱退(72年に復帰)。
72年にGunnarが復帰した頃は、ヴォーカル3人・ギター2人・ベース・タンバリン・キーボード2人・ドラムス2人の、計11人の大所帯になっていたそうで、その時期のキーボードの一人はSven Grünbergだったようです。*注

74年にはRein Vaik(Key)が加入、そして前年から掛け持ちしていたOrnamentに専念するためにGunnarが脱退。

その後も息の長い活動を続けたようで、正式に解散したのは85年ということですから、エストニアのビートグループでもっとも長命なグループだったようです。

*注:下記のOrnamentと情報が交錯している可能性あり


*Ornament

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73年結成となっていますが、コヒラの文化センターのディレクターの支援を得て、プロジェクトの準備は72年からスタートしていたそうで、初期段階ではSven Grünberg(Key)が関わっていたそうですが、最終的に形にならなかったようで、73年にグループとして活動がスタートした段階では全く別のラインナップになっていたようです。*注

活動開始の段階でのメンバーは、Gunnar Graps(Vo.Ds)・Ilmar Soots(B)、そして初期のRujaに一時期在籍していた、サウスポーのギタリストAndres Põldroo(G)のトリオ編成でした。
74年にはIlmar(VirmalisedのPaavo Sootsの弟)が脱退し、Tõnu Tormis(B)が加入。
76年に解散し、GunnarはMagnetic Bandを結成し、大きな成功を収めました。

ちなみに、活動末期にはApelsinに参加するTõnu Aare(G)が、Andres脱退後にごく短期間参加していたそうです。

*注:本国でも情報が錯綜しているようで、ちょっと曖昧な記述にしています。
当時Ornamentのライヴを観た方々は、ステージでSvenを見たことがないと述べており、同時に彼は74年からMessの活動をスタートさせているので、少なくとも実際の活動期間中には参加していないものと思われます。


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第2弾は、Jaak JoalaのキャリアのスタートとなったKristallid、そして残した曲は少ないものの妙にインパクトのあるPop-Pojad・Korallidの3グループです。

それぞれの曲の後についた番号は、以下の4種のコンピに収録されているという意味です。

①Eesti Rocki Lapsepõlv 1966-1976
Eesti 60ndad
③Biit Piraadid
Biit Piraadid 2


*Kristallid

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Kristallid 1967:(L to R)Olav・Olev・Toivo・Evald・Mati・Anton・Jaak

65年の春、タリン・ミュージック・スクールの生徒らで結成。
当初はSecundoという名義を使用していたが、66年になってからKristallidに変更。

エストニアの国民的シンガー、Jaak Joalaのキャリアのスタートとなったグループとしても知られています。

メンバーはリーダーのOlev Künnap(G.Vo)、そしてÜlo Linnupõld(G)・ Leo Grabe(B.Vo)・Anton Lutt(Ds)・Olav Ehala(Key.Vo)・Jaak Joala(Vo.Fl.B)・Mati Tibar(Sax)・Evald Mölder(Tp)・Vello Roomet(Tp)という9人の大所帯でした。
と言うのも、彼らはソウルミュージックを好んでレパートリーに取り入れており、それで管楽器を固定メンバーにしていたのでした。

程なくしてÜloとLeoが脱退し、Toivo Unt(B)が加入。
67年にToivo Untが脱退した後、Jaakがベースを兼任するようになり、そのことは68年にVirmalisedに加入する時の助けになりました。

67年、ETVのコンテストのインストグループ部門で優勝。
68年4月にはVirmalisedらと共に、タリンのKosmos Cinemaで開催されたエストニア初のビート・フェスに出演。

68年の秋、Jaakが脱退し、Virmalisedに加入。
Jaakと入れ替わるように、Virmalisedを脱退したKalju Oppi(B)が加入。
さらにBoris Lehtlaan(Vo)を加えて活動を継続したものの、徐々に勢いを落として行き、69年に解散。


楽曲について

1.Sa Võisid Olla Päris Kena Tüdruk
[You Must Have Been A Beautiful Baby]①②  `66
2.Sain Laulu Kokku Seada (O.Ehala/P.Peetsalu) ① `66
3.Kui Ainult Kord (M.Tibar) ③
4.Küll Olid Päeval Pikad Rajad (M.Tibar)③
5.Sipelgad (O.Künnap) ③
6.Ma Teen, Mida Võin[I Take What I Want]④
7.Kas Sa Kuuled [Can You Hear Me]④
8.See Kurvaks Teeb[A Girl Like You] ④

DC5バージョンのカバー1に代表されるように、ブラスをバックにしたR&Bのスタイルですが、ストロングなヴォーカリストが在籍しないため、編成からイメージするよりはサウンドは軽いです。
そのせいか、それっぽいカバー群よりも、彼らのオリジナルであるポップな2~5の方が似合っています。
6~8が68年のKosmos Cinemaでの実況録音で、それ以外はスタジオ録音です。
④のブックレットで、14がTroggsのカバーと表記されていますが、Rascalsの間違いです(笑



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今回から、単独でCD化されていなかったり、データが少ないグループを、2~3グループずつ紹介していきます。
第1弾は、エストニアン・ビート最古参の、Optimistid・Omega(Rapla)・Omega(Tallinn)の3グループです。

それぞれの曲の後についた番号は、以下の4種のコンピに収録されているという意味です。

①Eesti Rocki Lapsepõlv 1966-1976
Eesti 60ndad
③Biit Piraadid
Biit Piraadid 2


*Optimistid

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Optimistid:(L to R)Toomas・Neeme・Henry・Heigo・Vello

Virmalisedと共にエストニア最古のビート・グループで、65年にタリンで結成。
オリジナル・メンバーは、Heigo Mirka(B.Key.Vo)・Toomas Kõrvits(Lead G.Vo)・Vello Salumets(B.Key.Vo)・Neeme Ninnas(G)・Harry Kõrvits(Ds)の5人で、ToomasとHarryは兄弟、弟のHarryは当時12歳だったとか。
メンバーとToomasの父親は、まだ幼いHarryを酒を伴うパーティーに同行させたくないため、彼の加入に乗り気ではなかったそうで、程なくして(66年くらい?)代わりにHenry Kirspuuを加入させて、脱退させられてしまったそうです(68年に再加入)。

ちなみに、ToomasとHenryがかつて在籍していたのがJuunioridというインスト・グループで、Optimistidの前身と言われており、彼らがエストニア最古のビート・グループと言われているのも、このJuunioridの存在が大きいです。

ベースのHeigoは、部屋一杯のビートミュージックを録音したテープを所有していたそうで、そこから演奏するレパートリーをチョイスしていたそうです。

結成当初はRevalという名で活動していましたが、66年のエストニアTVでのインストグループのコンテストに出演する際に、当局から「ふさわしくない」と言われてOptimistidに変えたとか。
そう言う事件があったものの、コンテストでは優勝を勝ち取り、彼らの名前は知れ渡っていきました。

彼らはラトヴィア初のビート・グループ、Melody MakersのPete Andersonと交流があったことが知られており、フィンランドの音楽番組を試聴するために、度々リガとタリンを行き来していたPeteがHeigoと知り合って親交を深め、時にはOptimistidのライヴに同行して歌ったこともあったとか。

エストニアで大きな人気を得た彼らは、66~68年にかけてエストニア内はもちろん、ラトヴィアやグルジアでツアーを行いました。
グルジアではライヴ自体は大好評だったものの、マネージャーが売り上げを持ってトンズラし、エストニアに戻る旅費を稼ぐために1ヶ月長くツアーで滞在する破目になったそうです。
結果的にそのことがグループを疲弊させてしまったようで、69年に解散しました。

活動末期の68~69年には、Toomasの弟でHarryの兄Tiit Kõrvits(G)とHeiki Johannson(Vo)が、Mikronidと掛け持ちで参加しました。

余談ですがKõrvits兄弟には、さらにToomasの一つ上の兄Tõnisもいて、彼もまたギタリストだったりします。


楽曲について

1.La La La Laul[La La La Lies] ①③ `69
2.Ülle (V.Salumets) ① `69
3.Mul On Tunne[You Won't Be Leaving] ①② `67
4.Sa Kuulud Mulle [Then He Kissed Me] ②
5.Boogie (T.Kõrvits) ③
6.Jaan Läheb Jaanitulele (Trad.) ④

Virmalisedとはよく比較されたそうで、VirmalisedはBeatles、OptimistidはRolling Stones…のような感じで言われていたそうですが、ライヴではそうだったのかもしれませんが、残された録音はインストグループあがりっぽいナチュラルなトーンのギター・サウンドで、楽曲のチョイスもポップでソフトなものが多いです。
他にもDylanの「Chimes Of Freedom」など、いくつか録音を残しています(未CD化)。

前述のJuunioridも1曲だけCD化されており、コンテストらしきプライベート録音で、インタビューとインスト「Maria Elena」が④のラストのシークレット・トラックとして収録されています。
  



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