あるにもあらず 過ぐるわが身は

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Mashina Vremeni 1971or72:(LtoR)Alexander・Maxim・Sergey・Andrei

かなり放置を続けましたが、とりあえず生きています(笑
7ヶ月近くも放置した分、気合入れて書き上げました。

今回は、旧ソ連で最初に成功したロックグループと言われる、Машина Времени‎[Mashina Vremeni]のアンダーグラウンド時代を紹介したいと思います。
Mashina Vremeniは公式音源では80年代が最初ですが、70年代のチープな機材でのアンダーグラウンド時代は、60年代ビート/サイケファンにもおすすめできます。
全活動歴のうち、69~79年までの短い範囲とは言え、ここまで書かれた日本語の情報はたぶんないと思います。
ま、いつものごとく、ないから自分で書くしかなかったのですが(笑


69年、建築学科の学生Андрей Макаревич[Andrei Makarevich]がモスクワで結成したのがMashina Vremeni(Time Machineと言う意味)で、当初はBeatlesやRolling Stonesなどをカバーしていたそうです。

Andreiはソ連では名の知れた建築家の息子で、父親が海外から持ち帰った「A Hard Day's Night」を聴いて衝撃を受けてギターを弾き始め、15歳の時に学校の友人たちとThe Kidsというグループを結成。
その翌年に結成されたのがMashina Vremeniでした。

Mashina Vremeniは、基本的にAndrei以外のメンバーがかなり流動的なので、ある程度の期間在籍した、あるいは印象的なメンバーだけを出していくことにします。

結成直後の69年の段階では、Andreiの学校の楽器をやっている連中を集めたという感じだったようですが、演奏面でかなり難があったようで、若干のメンバーチェンジを経てAndrei(Vo.G)・Игорь Мазаев[Igor' Mazayev](B)・Юрий Борзов[Yuri Borzov](Ds)の同じ学校のメンバーに、隣の学校の生徒だったСергей Кавагоэ[Sergey Kavagoe](key)の4人の編成に落ち着きました。

このラインナップで、11曲ほどアルバム形式でレコーディング(と言っても当時のオープンリールデッキでの宅録)をしており、現在では1曲だけしか現存していないそうですが、それでも69年の段階でソ連のアンダーグラウンドのグループが、自分たちの演奏を録音していたこと自体が特筆に価すると思います。

というのが、当時のソ連で、少年達が高価だったオープンリールテープに録音するのは、ヤミで高価で出回っていた西側のグループのレコードで、自国のアマチュアのグループの演奏を録音するという概念自体がなかったようで、60年代にソ連にも数多くいたアマチュアのビートグループの録音が残されていることが皆無に等しかったのです。
たまたま気まぐれで録音したのかも知れませんが、Mashina Vremeniの最初期の演奏が残されていることは驚きとした言いようがありません。

Mashina Vremeniは、当時数多くいたアンダーグラウンドのグループたちと同じように、当初はBeatlesなどの西側の楽曲のカバーと、それらを参考に見よう見まねで作った、いくつかの英詞のオリジナルをレパートリーにしていましたが、すぐにAndreiはロシア語詞のオリジナル曲を書いて歌うようになりました。

当時のソ連のアンダーグラウンド・シーンでは、西側の楽曲のカバーに終始するのが基本で、自分たちのオリジナル曲を演奏することはあまりなく、取り上げても英詞で歌うことがほとんどだったようです。
もちろんロシア語で歌うグループもいたのですが、聴衆には体制への妥協のように思われ、ヤジられてステージを降りるはめになることも多かったとか。

それまでロシア語で歌っていたグループと、Mashina Vremeniとの決定的な違いは、この国に生きる自分たちの身の回りのことを、当局を直接刺激しないように遠まわしな表現で、しかも自分たちにはよく分るように歌い上げたことで、彼らは「自分たちの国のロック」を形作って受け入れさせる事に成功した最初のグループだったと言えます。

「カリフォルニアやリバプールから来たかのようにふるまうのはやめた方がいいと思ったんだ。」ーAndrei Makarevich

Andreiの書く詞は、古いロシアの詩とヒッピー・ムーブメントに影響されて形成されたもので、現在の感覚では抽象的でいささか物々しさがあり、西側で例えればDylanとBolanをミックスさせたような印象です。

ともあれ、Mashina Vremeniの登場がきっかけで、ソ連のアンダーグラウンド・シーンでロシア語で自分たちのことを歌うグループが徐々に増えて行き、やがてそれが主流になって行ったわけです。

71年ごろから、モスクワの建築学会の主催のライヴで演奏するようになり、それで彼らは重要な問題にぶち当たる事になります。
それは演奏技術に関することでした。

初期のMashina Vremeniは、詩作面はともかく演奏面はお世辞にもうまいとは言いがたく、それが災いして演奏がこなれた西側のカバーのみのグループに全くかなわなかったそうで、それに打ちのめされたAndreiは何度もグループを辞めようと考えては、友人たちに説得されて持ち直すのを繰り返していたそうです。

71年、Igor'とYuriが脱退し、建築学会のライヴで知り合ったАлександр Кутиков[Alexander Kutikov](B.Vo)とМаксим Капитановский[Maxim Kapitanovsky](Ds)が加入。

上の画像は、メンバーと機材からすると71年か72年ごろのもので、AlexanderはHöfner 500-1、Sergeyは日本製のAce Tone Top-9コンボオルガン、Andreiは東ドイツ製のMigma Favoritといういびつなボディラインのセミアコを使用しています。
ギターとベースは、当時のソ連では一般的に入手できたものだと思いますが、Ace Toneのオルガンは、Sergeyの日本に住む親戚に送ってもらったものだそうで、当時のかの国では非常に珍しいものだったみたいです。

同年11月、Sergeyが軍隊に招集。
73年にはMaximが脱退し、Цветы[Tsvety]のドラマーЮрий Фокин[Yuri Fokin]が掛け持ちで参加。
74年にはYuri Fokinが脱退(どうやらVIAとの掛け持ちにクレームがあったらしい)、Sergeyがキーボードからドラムスにチェンジ。
さらにそのSergeyとAlexanderはそりが合わなかったらしく、73~74年にかけて交互に出たり戻ったりを繰り返したりと、演奏技術は徐々に向上してグループの評価は高まって行くも、Andrei以外のメンバーがひっきりなしに変わって不安定だったようです。

出入りしたメンバーの中には、79年にВоскресение[Voskreseniye]を結成する Алексей Романов[Alexey Romanov](74~75年にかけての数ヶ月間だけ在籍)もいました。

ソ連では、国家非公認のアンダーグラウンドグループは、VIAのようなレパートリーや演奏などの規制がない代わりに、 おおっぴらにライヴで収入を得ることを禁止されていたため、ただでさえ入手が大変な上に高価だった機材を確保・維持してライヴをし続けるということは、西側以上に大変なことたのだと思います。
マネージャーを介して間接的に契約して、ライヴの上がりを得ることはできたようですが、かなりの比率でマネージャーに持っていかれてしまうので、メンバーの手に入るのは僅かな額だったようです。
また、ソ連のような共産主義国では無職でいることはできないため、日常の仕事に加えてリハーサルや定期的なライヴをこなすのは、やはりそれだけの気持ちがないと続けられないということなんでしょうね。

75年、AlexanderとAlexeyが脱退し、Alexanderはアート・ロックグループВисокосное Лето[Visokosnoe Leto]に加入。
そして新たにЕвгений Маргулис[Evgeny Margulis](B.Vo)が加入。
Andrei・Sergey・Evgenyの3人編成は、彼らのアンダーグラウンド時代でもっとも安定したラインナップとなり、その時期によってサポートメンバーを追加しつつも、79年までこの3人で活動して行きました。

同年、国営TVから声をかけられ、音楽番組「Music Box」に出演する事になり、彼らはまともなスタジオでの初のレコーディングを行いました。
2日間のセッションで7曲レコーディングしたものの、最終的には検閲で却下されて実際に電波に乗ることはありませんでした。
ただ、製作担当者経由でこの7曲が秘かにカセットテープで複製され全国的に広がって行き、彼らの存在が知れ渡っていきました。

ここら辺の感じはいかにもソ連っぽいですね(笑

76年にバルト3国の一つ、エストニアのタリンで開催されたユースフェスティバル「Songs of youth in Tallinn 76」に出演したのですが、モスクワから遠く離れたタリンの聴衆が、自分たちの曲の歌詞をそらで憶えている事に驚いたそうですが、それはやはり件の75年のテープがそれだけ評判になって、コピーされて拡がって行った結果でした。
Mashina Vremeniはコンテストで優勝し、活動し続けて来て初めて手ごたえをつかんだのでした。

その後、レニングラードにも遠征する事になり、77年には再びタリンを訪れました。

a2059.jpg
Mashina Vremeni 1977:(LtoR)Andrei・Sergey・Evgeny

78年に入ると、サックスとトランペットのサポートメンバーを加え、サウンドの強化を図りました。
同年春、スヴェルドロフスクで開催されたユースフェスティバルに出演。
タリン同様、彼らの演奏は好評だったものの、フェスの審査員を務める地元のお役人達が、Mashina Vremeniの曲の歌詞の内容に動揺してしまい、慌てて彼らを審査の対象から外しました。
お役人たちも、立場上間接的にとは言え当局を批判するような歌詞を、おおっぴらに評価するわけには行かなかったようですね。
主催者から急に「すぐに会場を発つように」と要請され、彼らはフェスの終了を待たずにモスクワに戻るはめになったそうです。

同年夏、Andreiはかつてグループに在籍していたAlexanderを訪ね、彼が勤めるスタジオでのレコーディングを依頼し、直前に自動車整備学校でレコーディングしたマテリアルにいくつか曲を加えて、2週間かけて24曲を収録しました。
Andreiはこの録音の演奏に満足できなかったようで、お蔵入りさせるつもりだったようです。
ところが、またもや秘かに流出してカセットテープのコピーが全国を駆け巡る事になりました(笑

同年10月、エストニアのノギンスクで開催されたフェスティバルに出演、地元のグループMagnetic Bandとともにフェスのオープニングを勤め、もちろん最優秀賞をかっさらって行きました。
この頃には、ホーンの2人を外して元の3人編成に戻していました。

78年末~79年初頭にかけて、彼らはサン=テグジュペリの「星の王子さま」のタイトルを拝借した「Little Prince」ツアーを行い、この時に録音されたマテリアルは、再びカセットテープで流通しました。

グループの人気は全国的になり、ライヴの数は大幅に増えて行き、活動は順調に見えていましたが、79年春ごろからAndreiとSergeyの確執が表面化して行きました。

原因はいろいろあったようですが、決定的だったのはAndrei以外のメンバーがライヴを嫌がるようになったことでした。
人気が上がるにつれて、こなすライヴの数が増えたことによる疲労とストレス、そして熱狂するファンとヤミで出回るニセのチケットが引き起こすいざこざに、彼らはうんざりしていたようです。
SergeyとEvgenyは、ライヴ直前にしこたま飲んで酩酊した状態でステージに上がり、それがまた状況をややこしくして行きました。

最終的に、SergeyはEvgenyと共に脱退し、かつてグループに在籍したことのあるAlexey Romanovが結成したVoskreseniyeに参加しました。

メンバーがAndrei一人になってしまい、70年代のアンダーグラウンド・グループとしてのMashina Vremeniはここで終焉を迎えました。

付記:
壊滅寸前のグループを救ったのはかつて在籍したAlexanderでした。
彼は、その時点で在籍していたVisokosnoe Letoから、ドラマーと共に移籍しさらにキーボードを加えて、Mashina Vremeniを再生させる提案をAndreiに持ち掛けました。
こうしてMashina Vremeniは復活し、同年夏には国家のブッキング組織ゴスコンツェルトの公認を受けて、以後も息の長い活動を続けて行くことになります。





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