あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

67年ラインナップ

(左からPetr・František・Jiří(上)・Přemysl(下)・Pavel・Karel)

12.25:František Franclのギターについて追記


さてさて、ようやく腕の痛みがひいてきたので一安心です。
まだ指先がビリビリするのですが、さほど支障はないのでぼちぼち更新して行きたいと思います。

今回は予告したとおりチェコスロバキアのFlamengoです。
Flamengoは目まぐるしいメンバーチェンジを繰り返していて、資料を見ながらファミリートゥリーを作っていて呆れてしまいました(笑
そんなわけで、メンバーと時代の変遷によって音楽性を変化させていますので、サイケ/ブルースロック時代とジャズロック時代の2回に分けて紹介します。

Flamengoは66年、Přemysl Černý(Ds)を中心にプラハで結成。
最初期メンバーはPřemyslにPavel Fořt(G)・František Francl(G)・Jiří Čížek(B)・Eduard Vršek(Key)・Petr Novák(Vo)というラインナップでした。

同年9月、Eduardが脱退、Viktor Sodoma(Vo)が加入。
なぜPetrの他にボーカリストを加入させたのかはよく分かりませんが、もしかしたら2人とも暫定的な加入だったのかもしれません。
また、2人とも作曲も手がけていることからして、少なくともこの時点では曲を書いていなかった他のメンバーの狙いが透けて見えるような気もします。

いけない子だ(笑

この画像は、初期ラインナップでの66年のTV番組の映像からで、まだルックス的にもサウンド的にもビートグループ時代の印象です。
興味深いのが、Viktorがこの時点であの扇情的なボーカルスタイルをほぼ完成させていることで、64年の段階(画像下右)ではまだ素朴でまじめだった彼が、この映像ではこんな顔(画像下左)をするようになってしまいました(笑
また、この映像ではPetrがオルガンを弾いているようですが、実際に弾いていたかはよく分かりません(笑

12月にはそのViktorがあっけなく脱退してMatadorsに加入。
どうしてもオルガンを入れたかったのか、Jiříがベースからオルガンに、そしてPavelがギターからベースにコンバートしています。
そして翌67年1月、Viktorと入れ替わるようにMatadorsからKarel Kahovec(Vo.G)が加入、このラインナップで最初のシングルをリリースしています。
最初の画像はこの6人での67年の写真です。
しかし、Františekはかっこいいですねー(笑

と思いきや今度は6月にJiříが、そして1st Beat Music Festival出演の直前の12月にPetrが相次いで脱退、相変わらずラインナップの不安定さを露呈してしまいます。
Petrは元々在籍していたGeorge & Beatovensに戻ってそちらで再デビューするのですが、元々期限付きの参加だったのか気まぐれだったのかは不明ですが、とにかくFlamengoでの自作曲のヒットはいい追い風になったことは間違いありません。

Flamengoがサイケ期に突入したのはKarel加入後で、この時期に彼らの個性的なサウンドが確立されて行きました。

彼らのサウンドの特徴は、オリエンタルと言うか無国籍と言うか、とにかく非ヨーロッパ圏のグループの曲をヨーロッパのグループが演奏しているような、一言で言えばヘンなサウンド(笑)で、メロディやギターにイスラム的な旋律も感じさせます。
チェコスロバキアが歴史的にアジアからイスラム圏、そしてヨーロッパへの通過点であったことを垣間見せる…とまで言っちゃうとうがちすぎでしょうか(笑

1st Beat Music Fesより

この曲は件の1stBeat Music Festivalでの演奏されたKarelの曲です。
この演奏を聴くと、Flamengoのサウンドに多大な影響を及ぼしている2人のメンバーがクローズアップされます。

Flamengoのキーマン2人

その最重要人物はやはりKarel Kahovec(左)で、その甲高いボーカルとオリエンタルな旋律を織り込んだ超個性的なソングライティングで、曲を聴いただけで誰が書いたのか分かりますよね(笑
この曲でも使われていますが、サビでのダウナーなコーラスなんかも非常に特徴がありますね。
ボーカルに微妙に演歌も入っています(笑
本国でも彼のスタイルは非常にユニークだと評されています。
Karelの楽曲がメンバーのプレイに影響を及ぼし、彼の脱退後もそのオリエンタルな要素はFlamengoの地色として残っていくので、彼の影響は計り知れないほど大きいと思います。
大きいといえば、彼は長身でガタイもいいですね~。
チリチリの天パのガテン系の彼ですが、リードボーカリストでもあることもあってか結構アイドルだったみたいで、そのチリチリ頭にリボンをつけて演奏している映像も残っていたりします(笑

そしてブルースをベースに、Karelの楽曲に触発されたかのようなオリエンタルなフレーズを織り成すFrantišek(右)のギタープレイ。
MatadorsのRadim先生と同じく、ファズ・ワウそしてアーミングを多用し、青い炎を吹き散らすかのようなフレージングはもしかしたらRadim先生以上かもしれません。
とにかく、Radim先生と並ぶチェコのギターヒーローだったんじゃないかと思います。
ジミヘンや、当時のブルースロック勢の影響もかなり受けているようです。

ちなみに、この映像で彼が弾いているのは、西ドイツ製の「Framus Strato Deluxe」というソリッドボディのギターで、一番最初の画像で彼が持っているのも同じものです。
ストラトをイメージして作られたものらしいですがあんまり似てないし(笑)、やたらと多いスイッチ類に虎縞&クロームのピックガードにナヨナヨのアームと、非常にビザールでチープな珍品です(笑
一番ネック寄りにヴォリューム奏法専用ノブが、PUに寄せて付けられていてなかなか面白いギターです。
Františekはこのギターを、67年から少なくともFlamengo脱退までメインで使用しています。
結成から67年までの間は、チェコスロバキア製の「Jolana Hurricane」という、Framusと同じくストラト型・3PUのギターを使用していました。
どうも彼は、PUとスイッチ類がたくさんある、ナヨナヨの細っちいアームのついたギターが好みだったようですね(笑
スイッチ類はともかく、あの頼りなさそうなアームがあの細かいヴィブラートのアーミングに欠かせなかったのかもしれません。

Flamengoのメンバーチェンジはまだまだ続きます。
68年2月には、グループを結成したPřemyslが脱退、Primitive GroupからJaroslav "Erno" Šedivý(Ds 下の画像上中央)が加入。
Jaroslavは67年のBeat Music FestivalのFlamengoのステージで叩いているのが確認でき、この頃からPřemyslの代わりに叩いていたのかもしれません。
Přemyslの脱退後にシングルリリースの間隔がかなり大きくなるので、この時期に何らかのゴタゴタがあったことは間違いなさそうです。

これは推測なのですが、リリースしたシングルがほとんどヒットしている人気グループだったFlamengoが60年代のうちにアルバムをリリースできなかったのは、この不安定なラインナップが影響しているのではないかと思われます。
個人的にはKarelが在籍した時期にアルバムを制作していてくれたらなと、非常に残念に思います。

68年ラインナップ

この頃になると、Františekの意向なのかブルースロック的なサウンドに傾倒して行きます。
彼のギタースタイルからすると、Karelのサイケ・ビートではややヘヴィすぎるきらいがあるし、この時期の楽曲が一番似合っているのは確かです。
もっとも、個人的にはサイケ時代のあの怪しい感じがたまらないんですけどね(笑
Karelも「The Way For Horses」のようなブルースロックスタイルの曲を書いたりしたものの、自作曲が書けるのにカバーを採用することが多くなったりで、彼はスタイルの変化をあまり好ましく思っていなかったようです。

そして69年1月、Karelが脱退。
グループのイメージを司るオリジナル曲が書ける唯一のメンバーだった彼の脱退は打撃だったと思われますが、同時にブルースロックの方向へ完全にシフトするきっかけにもなりました。
直後にイギリス人女性ボーカリストJoan Duggan(下の画像右から2人目)を、そしてやはりオルガンが欲しかったのか新たにIvan Khunt(Key.Vo 同中央)を加入させました。

69年ラインナップ

そしてこのラインナップでJanis Joplinバージョンの「Summer Time」をレコーディング、基本的にストレートカバーながら、Františekの情念溢れるギターはしっとりとした飛翔を魅せてくれます。
Joanのボーカルはうまいのはうまいんですが、最初聴いた時は英語の発音が妙だったのでチェコ人だと思っていたのですが、最近になってイギリス人だと判明して結構衝撃でした(笑
調べてみるとニューキャッスル出身だそうで、それでなまって聞こえたみたいです(笑
それまでの経歴はよく分からないんですが、なんでまたイギリスから共産国にわざわざ来たんでしょうねえ?

ともあれ、これからこの路線を突き進むのかと思いきや、70年1月、今度はよりによって新しいスタイルを主導した当のFrantišekとJoanが揃って脱退。
どうも2人はラブラブになってしまったようで、実際脱退後に結婚しています。

Karelに続き、看板ギタリストのFrantišekの脱退によって、グループは重大な危機に直面することになります。

(パート2に続く)


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