あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

4人と1羽(笑
L to R:Claudio・Angelo・Italo・Alfredo(カラス(笑)・Fabrizio

今回は、イタリアのグループの中でも異彩を放つ…というか変なグループ(笑)、I Corviを紹介したいと思います。

I Corviは、イタリア北部のミラノとボローニャの中間にある都市パルマで65年に結成。
メンバーはAngelo Ravasini(Vo.G)・Fabrizio Levati(G)・Italo Gimmi Ferrari(B)・Claudio Benassi(Ds)の4人で、さまざまなクラブのステージに立ち、英米のカバーを演奏していました。

66年初頭、コンテストで2位に入賞したことがきっかけで、Aristonレーベルと契約。
同年、Broguesの「I Ain't No Miracle Worker」のイタリア語カバー「Un ragazzo di strada」でレコード・デビューを果たしています。

I Corviと言えば、黒いマントと黒いカラス(笑
デビュー当初の、フリルの付いた白ブラウスに黒いパンツ、そして黒いマントというファッションは、グループ名の「カラス」をイメージしたものだそうです。
結構直球ですね(笑
活動期間とこのファッションからすると、音を聴く前だとサイケあるいは演劇的なイメージを持ってしまいそうですが、実際の彼らのサウンドにサイケな要素はあんまりありません。

独特のファッションとAlferdo
L to R:Italo・Alfredo(笑)・Angelo

そして、本物の生きたカラスをベースのヘッドにとまらせて演奏していたことは、ガレージファンには有名な話ですね。
あのカラスにはちゃんと「Alfredo」と言う名前がありまして、グループのイメージマスコットとして飼っていたようです。
ハリボテを使えばいいところを、実際に生きたカラスをヘッドにとまらせていることだけでも笑えますが、ベースのヘッドにわざわざ彼専用のとまり木フックが取り付けられていることにはウケまくってしまいました(笑
もしこのフックが付いていなかったら、この記事を書くことはなかったかもしれません(笑

このとまり木フックがツボです(笑

いつかFenderから、Italo Gimmi Ferrariシグネイチャー・モデル「Alfredo」を発売していただきたいものです。
ま、そこまでしなくてもフックをつけるだけでできるのですが(笑

あれぐらいの大きさの鳥だと、ベースのヘッドにとまると弦の振動がかなり身体に響くのではないかと思うのですが、Alfredoはほとんど動じることもなく演奏を通してヘッドにとまっており、つまりかなり馴れていると言うことで、つまりこのアイデアは結成当初から持っていたのだと思われます。

演奏中はベースのヘッド、そしていくつかの写真でItaloの頭の上にとまっているものがあることからすると、おそらく彼が主に面倒を見ていたんでしょうね。

ともあれ、彼らのファッションとAlfredoの組み合わせは、当時も結構インパクトがあったのではないかと思います。
また、そのルックスとともに、Angeloのハスキーなボーカルとファズを多用したギターを活かした、くぐもった音像のソリッドでダークなサウンドスタイルで、ポップな楽曲を演奏するのが彼らのスタイルでした。

結構ステージ映えもしたでしょうね。


初期の2枚のシングルはわりとよく売れたようで、同年のうちにAristonから彼らの唯一のアルバム「Un ragazzo di strada」を早くもリリースしています。
彼らは70年の解散までに19曲をレコーディングしていますが、オリジナルは存在せず全てがカバー及び提供曲です。

アルバムリリース後も、69年くらいまではシングルをリリースしていたようですが、69年くらいになるとイタリアでも70年代に花開くプログレ世代が台頭を始めていますので、彼らのようなカバーに終始したグループは徐々に出番がなくなってきたのでしょう。

シングルのリリースさえままならなくなってきた69年、FabrizioとItaloが脱退したことから更に失速し、代わりのメンバーを入れたものの、70年に入って解散しています。

結局のところ、I Corviは英米のヒット曲を自国語で演奏する、いわばイタリアン・ジュークボックス的なグループだったと言えますが、それでもやはりあの強烈なイメージとダークなサウンドは印象的で、いろんな要素を取り込んでいた60年代ならではのグループだと思います。



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一種の隠れ蓑?
1969 Line-Up:(L to R)Günther・Theo・Gerd・Achim・Klaus

さてさて、今年初のちゃんとした記事になります。

今回は東ドイツのManfred Mann的な存在のTheo Schumann Comboを取り上げたいと思います。
上の画像は彼らの最も有名な写真である1stアルバムのジャケットなのですが、この垢抜けないルックスとグループ名のせいで、手を出すのに二の足を踏んでいる60’sビート/サイケファンも多いのではないかと思われますが、実はメッチャメッチャシャープなサウンドを持っておりまして、個人的には東ドイツなら最初に聴いて欲しいグループです。

1928年、チェコとの国境にあるAltenbergに生まれたTheo Schumannは、幼少時から父親によって週6日のレッスンを受け、ドレスデン音楽院を卒業した本格的な音楽教育を受けています。
戦後、さまざまなダンス・オーケストラを渡り歩き、56年には彼の最初のジャズ・クインテットを結成しています。

その後、プロのジャズ・ミュージシャンとして活動しつつ、改めてドレスデンの音楽大学に入学し、ピアノ・クラリネット、そして作曲を習得しており、58年ごろにはすでに自らのオリジナルを作曲していたそうです。

いくつかのリーダーグループを経て、61年に結成されたのがTheo Schumann Comboでした。
それまでと同じく、当初はジャズ・コンボとして活動していましたが、ブリティッシュ・インベイション後の65年ごろからビート・グループに転向しています。
つまり、彼らは東ドイツ版ブレイン・ドレインだったと言うわけです。
非常にプロ意識が高く、新しいサウンドへの関心も高かったTheoは、最新のビート・ミュージックにジャズの要素を織り込んだサウンドを制作していきました。

しかし、彼らがビート・グループに転向した直後の東ドイツのシーンは非常に厳しいものでした。

先に話を進めるためにも、ここで当時の東ドイツのビート・ミュージックの動向を述べておきたいと思います。

当時、絶大な権力を誇っていたウォルター・ウルブレヒトは、元々ポップ・ミュージックを全く理解しようとさえしなかった時代の流れを読めない老害でしたが、同年11月、そんな彼のつむじをすっかり曲げてしまう事件が勃発してしまいました。
Klaus Renft Comboのリーダーが在籍していたButlersというグループのあまりの人気を恐れた当局が、強制的に解散に追い込んだことにファンの少年たちが反対のデモを行い、それを当局が装甲車・放水車そしてシェパードを放って鎮圧した「ライプチヒ騒動」が起き、この事件をきっかけにビート・ミュージックへの徹底的な締め付けが行われたのです。

国営レーベルAmigaでは西側のレコードのリリースが止まり、自国のグループのビート・ミュージック的な曲のレコーディングはことごとく却下され、ドイツ語以外のグループ名を禁じられ、些細なことで難癖を付けられては活動停止を強要されるようになりました。

このような締め付けはウルブレヒトの権勢が弱まる70年代初頭まで続いたので、65~70年という世界的にもポップ・ミュージックの変革期に、この国のミュージシャンはほとんど沈黙を強いられてしまったわけです。


そのような状況の中で、まともにレコードをリリースできたのは父親が有名なミュージシャンだったThomas Natschinskiのグループ(改名はさせられていますが)と、ジャズ・コンボの仮面を被ることができたTheo Schumann Comboだけで、彼らが何とか作品を残せたことで、結果的にシーンの完全な荒地化を防ぐことができたのでした。

また、先に述べた彼らの旧態然としたセンスのルックスは、あまりスマートなイメージを持たせることで当局の目に止まってしまう事を防ぐ意味もあったのかもしれません。
同じく本来はジャズ・コンボだった日本のクレイジー・キャッツも同じようなファッションをしていましたから、その手のグループとしては定番のファッションではあったのでしょうね。

ジャズ・コンボの仮面を被りつつ、グループのサウンドは年を追うごとに先鋭さを増して行きます。

最初に東ドイツのManfred Mannと述べましたが、ほとんどの曲がカバーや他人の作品だったManfred Mannに対し、彼らのほとんどのマテリアルはTheoを中心としたメンバーのオリジナル曲で、ジャズの要素をうまく取り入れたそのマテリアルのクオリティーの高さには驚いてしまいます。
また、演奏技術もManfred Mannよりも格段に高く、ワウ・ファズ・ボリューム奏法などのの新しいエフェクトや技術をふんだんに取り入れたシャープなものでした。

彼らはボーカル曲もレパートリーにありましたが主体はインスト曲で、ボーカル曲ではManfred Mannには及びませんが、インスト曲はその高い演奏技術と作曲能力を活かしたシャープでグルーヴィーなもので、こちらは彼らのほうが格段に魅力があります。

66~69年のラインナップは、Theo(Sax.P)・Achim Gutsche(G.Key)・Günther Püschner(G)・Klaus Berger(B)・Gerd Schönfelder(Ds)の5人編成。
ボーカルは誰が取っているのかよく分かりませんでした。

1stアルバムのリリースは69年で、内容はそれまでのシングルなどの集大成的な内容ではありますが、元々のコンセプトが明確なグループなので妙にまとまりがあり、特にアルバム用にレコーディングされた曲のカッコよさはハンパじゃありません。
ジャケットはカッコ悪いですが(笑

70年に入ると、演奏技術の向上を目指して(それまでの演奏のどこが不満なのかさっぱり理解できませんが)TheoとGerd以外のメンバーを一新。

少しスマートになりました(笑
1970 Line-Up:(L to R)Gerd・Achim Türpe・Wilfried・Theo・Petko

Achim Türpe(B)・Petko Tomanow(fl.Key.Sax)・Wilfried Peetz (G.Vo)を加えた新ラインナップになったグループは、2nd「Für Junge Leute」をレコーディング、そしてリリースしました。
1stと違い、「Für Junge Leute」はほとんどのマテリアルがアルバム用に新たにレコーディングされており、彼らのアルバムの中で最もまとまりのある内容になっています。
また、今までよりもしっかりとしたボーカルが取れるWilfriedが加入したことで、ボーカル曲のクオリティも上がっていることも特筆できます。
ジャケもグッとよくなりました(笑

a349.jpg

71年には3rd「Guten Abend Carolina」をリリース。
今まで通りのポップなボーカル曲やジャズの要素を取り入れたビート・インスト、そして新時代を見越してかジャズ・ロック的なプログレっぽい楽曲などが混在した、今ひとつやりたいことがよく分からない散漫な内容で、特にわりと正当な進化かと思っていたジャズ・ロック的な曲では意外にもまとまりに欠けており、75年を境に純粋なジャズへの復帰を示唆するような、ロック・グループとしての限界を感じさせる内容と言えるかもしれません。
救いなのは本来の持ち味であるインスト曲の完成度が相変わらず高いことで、外せない曲がいくつかあることでしょうか?

72年に入ると、彼らのレコードのリリースは止まってしまいます。
ウルブレヒトによって抑え付けられた中で魅力的な作品をリリースして絶大な人気を誇った彼らでしたが、皮肉にもウルブレヒトから権力を引き継いだホーネッカーによるポップ・ミュージックに対する柔軟な政策によって台頭してきた、PuhdysやKlaus Renft Comboなどの新しい世代のグループによって世代交代を迫られることになり、ロック・グループとしてのTheo Schumann Comboは75年にThoe Schumann Formation並行した段階で終わりを迎えました。

彼らのシャープでグルーヴィーなインスト曲は当時の殺伐とした東ドイツのシーンに大きな花を咲かせたわけですが、現在もクラブでプレイされて高い評価を受けていることで、その魅力は今も色あせることなく息づいています。

CD紹介はまた後日。



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去年買ったCD


というわけで、明けましておめでとうございました。

去年は震災の影響もあって、ただでさえ少ない更新が更に減ってしまいました。
基本怠け者だからと言うのも大いにありますが、それでもかなり気持ちが沈んでしまってその気になれなかった部分は大きいですね。

そのせいか、この1年で購入したCDも例年より少なめで、おおよそ50~60枚程度でした。
メインで集めている東欧ものの買うものが少なくなってきたのもあって、それ以外のエリアをチョコチョコつついています。

チェコもので入手しあぐねていたものが運良く入手できたりはしているものの、ハマれるCDは少なくて全体的に小粒な印象でした。
年末に買ったドイツもの2枚がかなりよかったので、それが救いだったかもしれません。
このドイツもの2枚は、メンソールの方でかんたんに紹介しますのでよかったら。

今年は更に購入枚数が減りそうな気がしていますが、今までよりもよく吟味して購入しようかなと思っています。
とりあえず、ドイツの66年以後~クラウトロックと呼ばれ始める時期くらいまでのものや、イタリアなどのメジャーなプログレグループのビート/サイケ期の音源をチェックしてみたいと思っていたりします。

というわけで、今年もスロー&マイペースな更新になりそうですが、気が向いた時にでも覗いてくだされば幸いです。

本年も何卒よろしくお願い致します。


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  • Author: Graham
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    翻訳・編集に時間がかかるので更新は激烈にスローです(笑
    この自画像は、漫画友達の「ゆったりの間」管理人さん冬灯紗沙さんに描いて頂いたもので、さり気に対になっていたりします。

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