あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 


Virmalised Early Years:(L to R)Kalju・Paavo・Toivo・Ülo・Toivo Karetnikov


今回は、Optimistidと共にエストニア最古のビート・グループで、そして最も素晴らしいグループの一つといえるVirmalisedを紹介します。

Virmalised(エストニア語で「オーロラ」いう意味)は、タリン第39高校の生徒Toivo Kurmet(Vo.G.Key)を中心に65年の秋に結成、Virmalisedという名義を使うようになったのは66年2月頃だそうです。
結成当初のメンバーは、Toivo・Paavo Soots(G.Vo)・Kalju Oppi(B.Vo)・Toivo Karetnikov(Vo.Tb)、そしてToivoの弟Ülo Kurmet(Ds.Vo)の5人編成。
ÜloはToivoより4歳年下だったので、当時12歳!

当初はラジオ放送で聴いていた、Beatles・Kinksなどの西側のロックを演奏するために始めたそうですが、活動するうちにプロを志すようになり、67年ごろからToivoは自作曲を書き始め、グループは演奏レベルを上げるために練習に励みました。
Toivoの家族は、そんな彼らの活動を応援しサポート、父親はデモの録音やグループの財務を、母方の祖母は彼らの初代マネージャーだったそうです。

結成時期がほぼ同時期のOptimistidとはよく比較されたようで、VirmalisedはBeatles、OptimistidはRolling Stones的…のような、よくある感じで(笑
もっとも、当初は両グループ共に西側の曲のカバーをしていたものの、Virmalisedはすぐにオリジナル曲中心になり、グループとしての評価は彼らの方がダントツ高いです。

68年に入ると、グループは大きな転機を迎えました。
同年4月、エストニア初のビート・フェスがタリンのKosmos Cinemaで開催され、VirmalisedもPoppojad・Kristallidらと出演。
彼らはフェスのトリを務めてカバーとオリジナルを交えて演奏、聴衆を熱狂の渦に巻き込み、Virmalisedの名前は一気に知名度を上げていきました。

しかし同時に、エストニア共産党中央委員会にも、その熱狂の様子が耳に入っていたのでした。

68年夏、自らのグループを結成するためにKaljuが脱退、Kosmos Cinemaでのライヴで共演したKristallidのベーシストで、優れたシンガーとして既に注目を集めていたJaak Joala(Vo.B)が加入。
具体的な記述が見つからないのですが、Toivo Karetnikovもほぼ同時期に脱退しているようです。

68年秋、ミュージカル「Pofibo Revüü」のエディターJüri Linaの手配によって、彼らはエストニアン・ラジオで初のレコーディングを行い、「Üksinda」「Ainult Sul」「Siis Sulle Meenub」の3曲を収録しました。

ToivoとJüriは春には知り合っていたようで、二人は意気投合し行動を共にすることが多くなり、以後Toivoが亡くなるまで…いや、ある意味現在に至るまで親交を保ち続けています。

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Jüri & Toivo In early spring of 1968,
タリンの市庁舎広場前にて


Virmalisedを語る上で、Jüri Linaは非常に重要な存在なので、簡単ではありますが紹介しておきたいと思います。

JüriはToivoと同じ1949年生まれの、エディター・ジャーナリスト・作家で、68年にToivoと出会って親友同士となって、Virmalisedが解散するまで影に日向に関わって行きました。
その過程で当局に目をつけられてしまい、KGBと激しい対立を繰り返した末、75年にはジャーナリストの活動を禁止され、79年まで夜間監視員として働いて凌いだ後にスウェーデンに亡命。

現在もストックホルムに在住し、作家・ジャーナリスト活動を続けています。
また、Referentレーベルを立ち上げて、VirmalisedとToivoの楽曲のリリースも手がけています。

その経歴でよくわかると思いますが、筋金入りのアンチ・コミュニストで、メールでやり取りした印象では、基本穏やかだがストイックで頑固者でした(笑
もちろん、そうでなければあの厳しい時代を乗り越えることができなかったんだろうなと思います。
メールで、彼はToivoとその音楽をとても愛していて、世界中で彼の音楽が聴かれることを望んでいると言っており、日本の音楽ファンにも彼の曲を聴いて欲しいと言っていたのがとても印象的でした。


68年11月、Jaakが脱退し、Mati Timmermann(B)が加入。
Jaakは以後は基本ソロとして活動して行きますが、Virmalisedの69・70年のレコーディングにも参加しています。

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Virmalised 1969:(L to R)Mati・Ülo・Paavo・Toivo

69年11月、ToivoはKGBの尋問を受け、以後Virmalisedはコンサートをする場所の制限を受け始めました。
ミュージシャンとしての生命線に手をかけられるようになったToivoは、ソ連当局の圧力に抗うようになりました。

そんな状況に気を揉んだJüriはラトヴィアのリガに飛び、ソ連の国営レーベルМелодияと、Toivoの曲を収録した2枚のEPをリリースする契約を結びましたが、直後に当局から却下されてしまいました。
Jüriはとにかくレコードをリリースさせて、当局にToivoを作曲家として認めさせて、Virmalisedが活動しやすいようにと考えての行動でしたが、土壇場で当局にひっくり返されてしまったわけです。

そして、そのことが仇となり、今度はJüriにも矛先が向かって行くことになりました。

こういった経過のせいか、70年代に入ってからのVirmalisedの資料はとても少なくて、大まかなことしかわからないのですが、わかる範囲で書いて行きます。

ほとぼりが冷めた?72年4月、彼らはETVの番組に出演し、その優れた楽曲と演奏は大きな評判を得ました。

この頃から女性ヴォーカリストを加えており、詳細な時期や同時に在籍していたのかは不明ですが、72~75年の間にSilvi Juhansson(Vo)・Melike Amjärv(Vo)の2人を加入させています。
もしかしたら、ソ連公認グループのVIAっぽい編成にして、当局の監視を和らげたいという思惑もあったのかもしれません。

また同じ頃、一時期ベーシストが不在だったようで、Toivoがベースとキーボードを担当していたようです。

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Virmalised Early 70`s:(L to R)・Ülo・Toivo・Silvi?・Paavo

この写真でToivoが弾いているのはチェコスロバキア製のJolana Tajfun Bassで、Paavoが弾いているのは東ドイツ製のMusima Eternaです。

73年ごろにÜloが脱退したようで、元Pop-PojadのAnts Kasesalu(Ds)と元ラプラのOmegaのMati Vaarmann(B)が加入。
ToivoとPaavoとの4人編成で、「Suve Hääl」のクリップが製作されています。

75年に公開された映画の1シーンで、Jüriが目をかけていたもう一つのグループMikronidの演奏をバックにSilvi Juhanssonが歌っているのですが、なぜか楽曲がVirmalisedの「Hei,Hei,On Hea,Et Niigi Meil Jääb」で、真相はよくわかりませんが謎の場面です。

おそらく、TV番組や映画のMikronidの場面の曲などの手配はJüriの手際によるものと思われます。

彼がそういう活動を禁止された75年以後、Virmalisedにも創作活動に厳しい制限を加えられたそうで、それ以後に残された楽曲が1曲だけでした。

そして77年、グループは解散しました。

Jüriに続き、エストニアからの移住を余儀なくされたToivoは、79年の秋に海外に住むエストニア人と結婚してスウェーデンに移住。
Jüriと共にVirmalisedのレコードをリリースしたり、創作活動を続けて行きました。

エストニアが再び独立した90年、Toivoは自国に戻ってビジネスを始めましたが、大きなトラブルがあったようで、その後ずっとそのことに悩まされ続けた結果、03年6月にラプラの病院で息を引き取りました。
享年54歳の若さでした。

さらに16年6月、Toivoの弟Üloも亡くなっています。


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Kogudus 1972:(左上から時計回りに)Jüri・Peeter・Toomas・Ants


今回は、70年代初期の旧ソ連時代のエストニアのグループの中でも、個人的にベスト5の一つと思っているKogudusを紹介します。

Kogudusとはエストニア語で「教会」という意味で、71年6月、エストニアの第2都市タルトゥで結成。
オリジナル・メンバーは、タルトゥ大学の学生だったJüri Elken(B.Key.Vo)・Ants Matiisen(Ds.Vo)・Toomas Taul(G.Vo)・Peeter Väljak(Vo.G)の4人で、後年交代したメンバーも含めて、彼らの故郷の南部の港湾都市ペルヌで活動していた3つのグループ、Nemo(Jüri・Toomas)・Syrius(Jüri)・Viking(Peeter)に在籍したメンバーを中心に編成されていました。
彼らはTrafficのように、同じアパートの部屋で共同生活を送りつつ、タルトゥ大学のクラブのパーティーなどで演奏。

そんな彼らの評判を聞いてか、72年5月、ETV(エストニアTV)のスタジオで初のレコーディング。
5月9~11日の3日間にかけて行われたセッションには、元Väntorelのリーダーで、かつてVikingにも在籍していたAndres Valkonenが参加、そしてレコーディングの前日に運悪く40度の高熱を出して演奏できなかったJüri Elkenの代わりに、Andresの弟Jüri Valkonenがベースをプレイし、彼らのオリジナル5曲が収録されました。

また、このセッションが後のU.D.Aの結成を匂わせているのが興味深いところです。

同年6月には、エストニア、そして当時のソ連内で初のオープン会場のフェス、エルヴァ・ソング・フェスティヴァルにFixらと出演し、スタジオ音源に比べて幾分ワイルドなその演奏に聴衆は熱狂しました。

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Kogudus live in Elva Song Festival 1972

11月にドラムスのAntsが脱退し、彼らの源流の一つNemo、そして一時期Fixにも在籍したValdur Tamm(Ds.Vo)が加入。
73年に入って、演奏面の強化のためかNemo・Vikingに在籍したRao Laidsaar(Key.Vo)が加入。

しかし、74年に入った頃にはメンバー間の音楽性が分かれるようになり、再びETVで録音を残すものの、同年3月に解散。

Peeter VäljakはFixに76年まで在籍し、Kogudusの同僚Jüri ElkenとRao Laidsaar、そしてAndres ValkonenらとU.D.Aを結成しています。

そして2013年6月23日、ヘルシンキの自宅のTVの前で、椅子に座ったまま亡くなっているPeeterを家族が発見。
検死の結果、おそらく7月10日頃に亡くなったのではと言うことです。
62歳の若さでした。


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