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あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

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Laghonia early70's
L to R: Carlos・David・Manuel・Alex・Eddy・Saúl

①の続きです。

70年、1stアルバム「Glue」をリリース後、さっそく次のアルバム用のレコーディングに取りかかりました。
しかし、数曲レコーディングしたところでEddyとAlexが脱退。
スピリチュアルな旅に出るためという、当時のヒッピームーブメントを感じさせる理由でした。

残されたメンバーは、Manuelがベースを兼任することでレコーディングを続け、Laghonia名義としては唯一のシングルをリリースして急場をしのぎました。
71年に入ると、サポートメンバーとしてErnesto Samamé(B)と、MagレーベルのオーナーManuel Guerreroの息子Carlos Guerrero(Cho)を加えて、アルバムを完成させました。
リリースされた2ndアルバム「Etcetera」は、それまでの彼らの要素に加えて、Carlos Salomが持ち込んだジャズの要素が加わった、70年代的な多様性を感じさせる優れたアルバムでした。
前作同様、アルバムは高い評価を得ましたが、それに反して売り上げは思わしくはなかったようです。

さらに、アルバムリリース後にDavidがアメリカへ帰国するために脱退。
Laghoniaのサウンドの中で重要なポジションを締めていた、Dividの脱退のダメージはあまりにも大きく、グループは活動を停止しました。

解散時の最終ラインナップだったSaúlとManuelのCornejo兄弟と、Carlos Salom・Ernesto・Carlos Guerreroは、新たにメンバーを加えてWe All Togetherを結成。
Beatles/Paul McCartney直系の、ポップで優れた楽曲を数多く残しています。

その後、Laghoniaは90年代に入ってから世界的に再評価されるようになり、長らく廃盤で超入手困難だった2枚のアルバムがリイシューされ、さらにセッション時のリハーサル音源やデモレコーディング集もリリースされ、現在では彼らの音源の入手が楽になりました。
そして2010年、グループ再評価を受けてSaúl・Manuel・Eddy・Alexの核メンバーが集結して、一時的なLaghoniaの再結成が実現し、国内でライブを行いました。

Laghoniaは、ペルーの伝説的な名グループとして、これからも語り継がれると思います。

(③に続く)


【“Laghonia(Peru)②”の続きを読む】 このページのトップへ

New Juggler Sound late 60's
L to R: Saúl・Alex・Alberto・Eddy・Manuel

1年半ぐらい放置していましたが、久々に更新します。
その久々の更新は、Traffic Soundと並んでペルーの伝説的なグループLaghoniaを取り上げます。

注:Laghoniaは、リリース年などのデータが、資料によって1年前後のずれが多いため、いつも以上に吟味してまとめましたが、不正確な部分がありますので「大体この頃」くらいに捉えていただけたらと思います。


Laghoniaは、Saúl(G.Key.Vo)とManuel(Ds)のCornejo兄弟とEddy Zarauz(B)の3人を中心に、Alberto Miller(G.Cho)とLos Jaguar'sのメンバーだったAlex Abad(Per.Cho)を加えた5人編成で、65年にリマで結成されたNew Juggler Soundが原点になります。

ちなみに、Eddy Zarauzはベースを自分で製作して、70年に脱退するまで愛用していました。1PU仕様で、尖ったマシンヘッドに、バイオリンベースを変形させたようなボディを持ち、偶数フレットインレイにボディ背面側のバインディング、表面の8割くらいを覆った変形ピックガード、ボリュームノブよりもボディ中心に寄ったジャックの位置など、なかなかの出来栄えかつ個性的なシルエットで、当時結構インパクトがあったのではと思います。

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Eddy's hand-maid bass

結成当初は、Beatles・Rolling Stones・Kinks・Yardbirdsなどのイギリスのグループのカバーを演奏していましたが、徐々に自分たちのオリジナル曲を手がけて演奏するようになります。

67年には、美術展で演奏する機会を得て、新聞の三面記事に「ヒッピー、リマを侵略」などと書かれたりして徐々に注目されるようになり、TVやラジオ番組に出演するようになりました。
そして68年6月、RCA Victorからシングルデビューを果たしました。

この頃には、100曲ものオリジナル曲を書きためていたそうです。

2ndシングルのリリース直後に、Albertoが脱退。
代わりに、Eddyは公園を散歩中に知り合った、アメリカ人の16歳の少年David Levene(G.Vo)が加入。
Eddyは公園のベンチに座ってギターを弾いているのを見かけ、そのR&Bフレーバーあふれるファンキーなプレイを気に入って、グループに誘ったのだそうです。

Davidの加入によって、彼らのサウンドは大きく変化し、ポップで時々メランコリックな既存の要素に、サイケデリックでファンキーな要素が加わったサウンドが、彼らの持ち味になって行きました。

同年、彼らを気に入ったMagレーベルに移籍、シングル2枚とEP1枚を立て続けにリリースして、グループを強力に売り込みました。
そして、この3枚のレコードをリリースした後に、Laghoniaをいうグループ名に変更しました。
グループ名の由来は、当時Beatlesが解散間近だと言われていた時期で、
Beatlesに多大な影響を受けていた彼らが、そのことに悲嘆したことがきっかけだそうで、スペイン語での「悲嘆」の「La agonia」をもじってLaghoniaとなったそうです。

そして、グループ名を変えたのと同じ時期に、新たにCarlos Salom(Key)を加入させました。
Carlosはジャズとブラジル音楽に詳しく、作曲にも積極的に関わって、彼らのサウンド志向の変化にも貢献して行くことになります。
また彼は、当時のペルーでは輸入されていなかったHamond B-2オルガンを所有しており、彼の加入によってLaghoniaは、ペルーを含めたラテンアメリカで最初に、レコーディングでHamondを使用したグループの一つとなりました。

当時のラテンアメリカ諸国は裕福ではなかったため、Hamondより安価なFarfisaのオルガンが主に使用されており、Hamondに対して一種の憧れはあったんじゃないかと思います。
ま、個人的にはFarfisaのチープな音色の方が、南米のサウンドに似合うと思いますけどね。

70年、この6人編成のラインナップで新たに録音した2曲と、既存のシングルとEPの音源をまとめた、待望の1stアルバム「Glue」をリリース。
売上自体は思わしくなかったようですが、彼らのサウンドは高く評価されました。

(②に続く)



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Graham
  • Author: Graham
  • 日本語での情報の少ない、60年代の東欧・北欧・中近東などのBeat/Psychを中心に紹介しています。
    翻訳・編集に時間がかかるので更新は激烈にスローです(笑
    この自画像は、漫画友達の「ゆったりの間」管理人さん冬灯紗沙さんに描いて頂いたもので、さり気に対になっていたりします。

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