
Scampolo Early 60's:Komár László & "Judy" István
さて、今回は聴きログの方で予告したハンガリーの伝説的グループScampoloを紹介したいと思います。
Scampoloは、Beatles以前から活動していたハンガリアン・ロック・シーン最古のグループの一つで、61年にブダペスト農業組合の共産主義青年団のバックアップで結成されました。
当初はTacskó(ダックスフント)というグループ名だったそうですが、すぐにRomy Schneider主演の同名映画のタイトルからとったScampoloと改名。
元々ダンスオーケストラとして結成されたこともあって、メンバーはかなり流動的だったみたいですが、62年にKomár Lászlóが加入し、結成時からのメンバーで当初はドラムを担当していたFaragó "Judy" Istvánがギターにチェンジしたころから、この2人を軸にわりとラインナップが安定していたようです。
62年ごろのラインナップは、Komár László(Vo)・Faragó "Judy" István(G)・Selmeczi Sándor(B)・Atkári Lajos(G)・Varga Tibor(Key)・Tihanyi Gyula(Ds)で、ライヴによってはサックスや女性ボーカリストを入れたりもしていたようです。
この時期のScampoloは、エルヴィスを初めShadows・Carl Perkinsなどのロックン・ロール&インストのカバーをレパートリーにしていました。
ハウスバンドだったダーリア・コーヒー・ハウスでの演奏によって評判が広がり、毎週火曜日の夜のScampoloのライブに多くのファンがつめかけました。
当時の状況を聴くすべがなく伝聞で推し量るしかないのですが、「悪魔のような手」と呼ばれた"Judy" Istvánのシャープなギタープレイに、後々まで「マジャール・エルヴィス」と呼ばれ敬愛されたKomár Lászlóのエルヴィスばりのボーカルにファンは熱狂し、ダーリアは異様な熱気に包まれていたそうです。
ちなみに、ダーリアにはOmega(Red Star)も出演していたとか。
63年にはダーリアを離れ、自らのクラブで演奏するようになり、その頃のライヴには若き日のZalatnay Saroltaも時折参加していたそうです。
64年の秋、リーダーで看板ギタリストの"Judy" Istvánが兵役に取られてしまい、人気のピークの中で活動停止を余儀なくされてしまいました。
その後、Dogsに在籍して歌っていたKomár Lászlóが、66年秋にScampoloを再編成、すでに兵役を終えていた"Judy" Istvánを呼び戻し、マルチプレイヤーのDanyi Attila(B.G.Key.Vo)を加えて、この3人を主軸に活動を再開させました。
以前と同じくエルヴィスやShadowsをレパートリーにしていたものの、Beatlesの衝撃を経た66年にそれだけではきついと思ったのか、Kinks・Who・Yardbirdsなどの新世代のグループの曲も演奏していたようです。
どういうわけか、ScampoloはBeatles & Stonesの曲は一切演奏しなかったそうで、その理由が気になるところです。
さらに67年になると、時代の変化に合わせてかジミヘン・Cream・Procol Harumなどの、R&B・サイケ・ブルース/ハードロックの要素を取り入れるようになりました。
そのタイミングで67年10月にグループに加入したのが、のちOmega~Locomotive GTで名を馳せるキーボードプレイヤー/ソングライターのPresser Gáborでした。
彼は67年10月~68年4月にScampoloに在籍していましたが、資料によってはすでにOmega Red Starに在籍していることになっており何だかややこしいのですが、以前紹介した「
Ezek A Fiatlok」でのOmegaの出演場面に彼は参加しておらず、やはりScampoloに在籍していたのか、もしかしたら2股していたのかもしれません。
けしからん(笑
しかし、けしからん物事は往々にして何らかの刺激になるわけで、Gáborの加入によってグループ初のオリジナル曲が生まれることになります。
68年1月~3月に、Gábor作の「Ne Írjon Fel Rendőr Bácsi」と、Komár László作の「Maradj Egy Percig」をラジオ用にレコーディング、2曲とも大好評だったものの、残念ながらレコードとしてはリリースされませんでした。

Scampolo 1968:中央から右にAttila・Judy・Komár László
68年4月にはGáborがOmegaに移籍、その後立て続けにメンバーが脱退、
"Judy" IstvánとAttilaの2人以外が総入れ替えになってしまい、時期によってはドラマーが欠員でパーマネントなメンバーを入れてしのいでいたこともあったようです。
最も痛手だったのは、リードボーカルでグループのイメージリーダーだったKomár Lászlóの脱退で、実際彼の後任のボーカリストを見つけるのには困難を極めたようです。
のちの彼の活動からすると、彼はサイケもブルースロックもR&Bにも興味がなかったのだと思います。
彼はとにかく、エルヴィスが歌いたかったんでしょうね。
頑なにエルヴィスとオールドR&RにこだわったKomár Lászlóに対して、初期のR&R時代を経てサイケ・R&B・ブルースロックと、さまざまなスタイルを貪欲に取り込んで、自分流に弾きこなしてしまう"Judy" Istvánの柔軟でユニークなセンスは非常に対照的と言えます。

彼はハンガリー初のギターヒーローで、イギリスで言えばShadowsのHank Marvinに該当すると思いますが、見た目は少年時代のBaddy Hollyって感じですね(笑
69年6月、当時17歳だった女性ボーカリストBontovics Katiが加入、ようやくボーカリストが固定されました。
Katiは、Buda Youth Parkのタレントコンテストで優勝し、破格の待遇でAttilaの招待を受けてScampoloに加入、以後は彼女のパワフルでディープな声質を活かしたR&B・ブルース/ハードロック路線を強化し、Aretha Franklin・Led Zeppelin・Ten Years Afterらのカバーをレパートリーに取り入れて行きました。
69年当時のラインナップには、Kati・"Judy" István・Attilaの3人に、Scampoloと同じくハンガリーの伝説的なグループLiversing出身のVarga László(Key.B.Vo)とMerczel András(Ds)が在籍しており、2人は2曲のオリジナル曲を提供し、デモ・レコーディングを残しています。
また、同年にはTV番組の企画によって生まれた曲をレコーディング、スプリットシングルとは言え、グループ初のシングルをリリースしました。

Scampolo 1969:左からAttila・Judy・Kati・András・Szidor László
70年6月、メンバー間のいざこざが絶えないことにうんざりしたAttilaがリーダーシップを放棄して脱退、彼に代わってMerczel Andrásがグループのマネージメントを兼任することになりました。
72年には、単独では初のシングルをリリースするものの、相変わらずメンバーが安定しないことと、新しい世代の台頭によって活動は尻すぼみになって行きました。
それでも地道にグループは存続していたようで、解散したのは81年になってからでした。
Scampoloは、60年代の初めから80年代の初めまでの20年もの活動期間で、最初から最後まで一貫して聴衆の希望に応えるダンスオーケストラだったと言えるかもしれません。
それゆえの伝説という感じでしょうか?
Scampoloは、当時公式にリリースされた音源がたったの4曲(レコーディング自体は5曲)のみで、その細く長い活動期間に対しての記録があまりにも少ないことで、伝説的な存在になっていました。
しかし、09年に公式録音のうち2曲と発掘音源を収録したこのLPがリリースされ、再編成後の68~70年のR&B・ブルースロック時代の音を聴くことができるようになりました。
初期のR&R時代の音源は、現状では発掘されていないようですが、一部とは言えその伝説が陽の目を見たことは素晴らしいことだと思います。
個人的に一番関心のある時期でもありますしね。

Under The Rainbow(ハンガリーMoiras 009)`09 LP
既発音源2曲に発掘ライヴ音源6曲、そしてデモ録音2曲が収録されており、その音源の性格上あまり音質がいいとは言えませんが、非常に貴重な音源ばかりで、正直こんな音源が残っていたとは驚きでした。
Moirasのスタッフの情熱、いやすさまじい執念を感じます(笑
現状ではLPのみで、コーティングされたゲートフォールド仕様のジャケで、内側には詳細なライナーと当時の写真、そしていかにもハンガリー盤らしい歌詞と写真の入ったインナー付きです。
Side A
1.Save Me(K.Curtis/A.Franklin) Vo:Bontovics Kati
2.Belváros(Faragó I./Merczel A.) Vo:Bontovics Kati
3.Maradj Egy Percig(Komár L./S. Nagy I.) Vo:Komár László
4.Need Your Love So Bad(Little Willie John) Vo:Szidor László
5.Sietős Emberek(Varga László) Vo:Varga László
Side B
1.Indian Rope Man(R.Havens/J.Price/M.Roth) Vo:Bontovics Kati
2.Aranyásó(Varga L./Merczel A.) Vo:Bontovics Kati
3.The Bear(John Mayall) Vo:Szidor László
4.I Woke Up This Morning(Alvin Lee) Vo:Bontovics Kati
5.Átmentem A Szivárvány Alatt(Tolcsvay B./Sáfár Z.) Vo:Kovács Kati
このLPには収録されていませんが、Moirasのスタッフにメールして教えてもらったので、この曲のクレジットも。
Ne Írjon Fel Rendőr Bácsi(Presser G./S. Nagy I.) Vo:Komár László
内訳は、時代順にA3が68年のHungarian Radioでの、A5・B2が69年のデモ、B5が70年のスプリットシングルから、残りが70年のオーストリアでの秘蔵ライヴ音源です。
A3は68年1~3月、Presser Gábor作の「Ne Írjon Fel Rendőr Bácsi」(未収録)とともに、Hungarian Radioでの放送用にレコーディングされたもので、サイケな要素を持ったシャープなフリークビートの「Ne Írjon~」に対して、Komár László作のこの曲は明らかに前時代的で素朴な印象があります。
この曲を聴いただけでも、当時のScampoloが取り込んでいた要素に、Komár Lászlóはほとんど興味がなかったようで、直後の脱退劇の前兆を感じてしまいます。
個人的にはこれを収録するなら、この曲より完成度が高く、"Judy" Istvánのキレまくったギターが聴ける「Ne Írjon~」を入れて欲しかったですね。
いや、彼がボーカルの音源は2曲しかないので、両方とも収録して欲しかったと言った方がいいか。
権利関係の絡みでOKが出なかったのかもしれません。
A5・B2はBontovics Kati加入後の69年10月に製作されたデモ・レコーディングで、2曲ともLiversing出身のVarga LászlóとMerczel Andrásの共作。
A5はほんのりジミヘンの影響を感じるサイケなR&B、B2はKatiのボーカルに合ったコンパクトなジャズ・ロックと言った感じです。
B5は、当時の若者向けTV番組「Halló Fiúk Halló Lányok(Hallo Boys Hallo Girls)」での「Write The Lyric」というコンテストで、Tolcsvay Bélaの曲につける歌詞を募集し、Sáfár Zsoltという青年の歌詞が採用され、その曲を当時人気のあった女性ボーカリストKovács Katiを迎えてScampoloがレコーディングしたもので、70年にPepitaからスプリットシングルのB面としてリリースされています。
といった経緯の企画的な要素があり、外部のボーカリストが歌っていることもあって、決してScampoloに似合っているとは言いがたいのですが、
"Judy" Istvánのフリーキーなギターソロが素晴らしいので意外と外せない曲ではあります。
残りのA1・2・4・B1・3・4が、70年5月のオーストリアでのライヴで、多少不安定な部分があるものの、秘蔵音源としてはなかなかの音質で、勢いのあるグループの演奏を聴くことができ、本当によく見つけたなーと絶賛してしまいます。
70年当時のラインナップでの演奏では、Katiのボーカルを中心に、R&B系の曲ではSzidor Lászlóのオルガン、ブルースロック系の曲では"Judy" Istvánのギターを前面に出して演奏していたのが分かります。
個人的には、Szidor Lászlóのグルーヴィーなオルガンと当時10代だったとは思えないKatiのパワフルなボーカルが素晴らしい、Aretha FranklinのカバーA1、"Judy" István作の走り気味のR&BのA2、B.Auger,J.Driscoll & Trinityの渋いカバーB1がお気に入りです。
ブルースロックのカバーA4・B3・4では"Judy" Istvánが弾きまくており、予想以上にはまってはいるものの、ちょっと彼のイメージではないかなとは思います。
この中ではJohn Mayallのカバーが一番いいかな。
以上、全10曲です。
件の本「
自由・平等・ロック」を読んだ印象でのScampoloは、オールドR&R色が強い印象を持っていましたが、68~70年の彼らはその印象とはかなり違い、いかにBeatles以前と以後の空気が違うのかを垣間見たような気がします。
残念なのは、このLPは330枚限定のプレスで現在では入手が難しくなってきていること、CDでリリースされていないこと、しつこいが「Ne Írjon~」と72年のシングルの2曲が収録されていないことで、次回のリイシューでは何とかクリアしていただいて、全曲収録&CDでもリリースしてほしいものです。