あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

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Juventus 1967


チェコスロバキアのグループの主だったものの紹介もかなり進んできまして、あと4グループと1シンガーの紹介を考えていますが、今回はその中の一つJuventusです。

サッカーチームの方で検索して来られた方は、この記事はサッカーとは全く関係ありませんのでご了承下さい(笑
そもそも、僕は未だに試合中にオフサイドになるとわけが分からずにポカーンとなる、サッカーをよく理解していない人なのです(笑


本題に入りましょう。

ラテン語で「若者・青春」という意味の単語をグループ名にしたJuventusは62年、Jiří Lahoda(G)・Antonín Jelínek(Vo.G)・Zdeněk Kučera(Tp)らが中心になってプラハで結成。
当初は学生メンバーによるパーティーコンボで、さまざまなシンガーをフューチャーして演奏していましたが、64・5年ごろからビートグループ化してプロとしての活動をスタートさせました。

65年当時のメンバーは、Jiří Lahoda(G)・Petr Rezek(G.Vo)・Vladislav Heráček (B)・Václav Rákos(Key)・Miroslav Čech(Ds)、そしてKarel Černoch(Vo)の6人編成でした。

69年までの活動期間を通して、Vladislavがグループリーダーだったようです。

プラハ生まれで、8歳の頃には聖歌隊で歌っていたというKarelは、プラハの南西部にあるバランドフの映画スタジオで、小道具担当として59年から働いていたそうです。
映画業界で働きながらもシンガー・ミュージシャンを志し、Komety・Donaldなどのグループを渡り歩いた末にたどり着いたのがJuventusでした。
63年にKarelは陸軍に召集されているのですが、この時も陸軍軍人らで結成されたVOJというグループのシンガーとして、軍服姿で歌っていたそうです。

いかついスター(笑
Karel Černoch 1967

ポップシンガーとしてはいかつい顔ですよね(笑
後年のひげをたくわえた姿の方が渋くていいですね。


その後、グループはABC劇場でコメディ劇のバック演奏を務めたりしていましたが、67年にようやくSupraphonからデビューシングルをリリース。
同年秋にVáclavとMiroslavが脱退、Josef Randák(Ds)と、しばらく後にLadislav Tuček (Key)が加入、このラインナップで同年末の1st Czechoslovak Beat Festivalに出演し、そのパワフルなステージングによって人気を博して行きました。
この時の彼らの演奏も映像に残されているのですが、ステージを駆け回りながら演奏していて、ちょっと笑ってしまいました。
ギターを弾く方はお分かりかと思いますが、ギターを弾きながら動き回るのは結構疲れるんですよね(笑

なお、68年に入ってからほどなくして、結成当初のメンバーだったJiříが脱退、5人編成になっています。

a404.jpg
Juventus 1967:(L to R)Karel・Vladislav・Petr・Josef・Jiří

Juventusは基本的にポップ寄りのビートグループで、シングルをリリースし始めた67年にはかなり甘口で軽めのサウンドでしたが、彼らもまた新たなサウンドの波を感じていたようで、67年末ごろにはサイケデリックなアプローチを楽曲に取り入れるようになって行きました。
Flamengoなんかもそうですが、Juventusのサウンドにもオリエンタルな要素とカントリーの下地が感じられ、またそれはチェコスロバキアのビート/サイケ全体に感じるものだと言えると思います。

Beat Festivalでも演奏して評判の良かったKarel作の「Procitnuti」や、ファズギターをフューチャーさせたややダークでヘヴィなVladislav作の「18 Minut」、ともにSEを効果的に使用したそれまでと違うアプローチを前面に出した曲を68年6月にレコーディング。
この同じ日にレコーディングされた2曲、おそらく次のシングル候補だったのではと思われますが、結局シングルでリリースされることはなく、前者はSupraphonから同年にリリースされたオムニバスに、後者は同じオムニバスと69年にリリースされたKarelのソロアルバムに収録されるにとどまりました。

これは僕の推測なのですが、68年6月にレコーディングされて、夏か秋くらいにシングルとしてリリースするつもりだったものの、同年8月21日のワルシャワ条約機構軍による占領の混乱によって、リリースするタイミングを失ってしまったのではないかと思います。

もしこの2曲がシングルとしてリリースされていれば、ヒットしてアルバムの制作の可能性もあったと思いますが、そういう意味では彼らも正常化政策の犠牲になったグループの一つだと言えるかもしれませんね。

さらにグループの激震は続きます。
グループの人気を牽引してきた、看板シンガーのKarelがソロ活動に移行するために脱退してしまいました。
Juventusでの活動で自信を深めてのソロ転向だと思われますが、ソ連の干渉が強くなっていく現状で、新機軸を打ち出したJuventusでの活動の可能性に不安を感じたのかもしれません。

さらにドラムスのJosefも脱退し、残された3人はJiří Myslivec(Ds)を加えた4人編成で活動、新たなシンガーは追加せずに、ヴォーカルは曲によってメンバーで歌い分けることになりました。

a405.jpg
Juventus 1969:(L to R)Vladislav・Jiří・Ladislav・Petr

この新ラインナップで、69年にPantonに移籍してシングルとEPを各1枚ずつリリースし、いくつかの印象的な楽曲を残しています。
上の画像がEPのジャケットで、後年チェコスロバキアン・ビートのオムニバスLP「 Czechoslovakian Beat Vol. 1」のジャケットに転用されています。

その後、同年のうちに解散したようです。
これは僕の推測に過ぎませんが、Karel脱退の穴があまりにも大きかったこと、69年から再び徐々に厳しくなって行ったレコーディングへの検閲で、EP収録の荒々しいサイケ・フリークビート「Bob Hands」が目に入ってしまったこと、そしてチェコ語ではないラテン語の「Juventus」というグループ名を変更する事を強要されたことあたりが、グループを解散に向かわせてしまったのではと思います。

メンバーのPetr Rezekは、末期のJuventusで作曲・リードヴォーカルを担当したことが幸いしたようで、70年代に入ってからシンガー・ソングライターとして活動、Karel Černochはカントリー系のシンガー・ソングライターとして大スターになって行くことになります。

なお、Karelは07年に亡くなっています。





Juventusは、67~69年の間にシングル4枚・EP1枚、そしてKarel Černochのソロアルバム収録曲やサントラ・オムニバスなど含めて全16曲を残しています。

Singles:

1,Nářek Převozníka (J.Lahoda/M.Prostějovský)
2,Den Na Prérii (M.Prostějovský/V.Švejdar)(Supraphon 013 0167)'67
3,Zrcadlo (K.Černoch/P.Žák)
4,Chrám (K.Černoch/M.Prostějovský) (Supraphon 0 43 0360)`67
5,Ona Se Brání (V.Heráček/P.Žák)
6,Stůj, Občane (K.Černoch/P.Žák) (Supraphon 0 43 0462)`68
7,Modrej Len (P.Rezek/E.Krečmar)
8.Vlasy (P.Rezek/E.Krečmar) (Panton 04 0238)`69

EP:
9,Kapka Jedu (V.Heráček/E.Krečmar)
10,Oči (L.Tuček/E.Krečmar)
11,Bob Hands (V.Heráček/E.Krečmar)
12,Nemocné Srdce (V.Heráček/E.Krečmar) (Panton 03 0167)`69

その他収録:
Karel Černoch/Páteční (Supraphon 0 13 0606)`69
13,Sto Kouzelnejch Slok[Spick And Specks] (B.Gibb/P.Žák)
14,18(Osmnáct) Minut (V.Heráček/P.Žák)
(他3・5・6収録)

Písně Z Filmu/Bylo Čtvrt A Bude Půl (Supraphon 0 23 0524)`68 *10inch
15,Broď Se Řekou (A.Michajlov/E.Krečmar)

V.A./Beat-Line Supraphon 1968 (Supraphon 0 13 0525)`68
16,Procitnuti (K.Černoch)
(他14収録)


Karel Černoch在籍時の音源が1・3~6・13~16、脱退後が7~14で、残る2はPetr Stůjをゲストヴォーカルとしてフューチャーしたものです。

上記のリストを見ても分かると思いますが、ただでさえ多いとは言えないリリースなのに、プラハの春で燃えた68年のシングルがたった1枚で、前述したサイケな14&16をオムニバスに収録して、何とかリスナーに届けようというレーベルの苦労が偲ばれます。

リリース順に紹介して行きます。
1&2がデビューシングルで、フォーキーで甘口のイントロ~ヴァースからサビでダークに展開させるあなどれないポップ1は、67年ならではの風合いを感じさせてくれます。
2は前述のとおり、ゲストシンガーに歌わせた曲で、67年の制作としてはオールディーズ的で、Juventusらしさが全く感じられません。

3&4は同年の2ndシングルで、「I Cant'Explain」から拝借したようなイントロから一転「ダッダッダララ ダッダッダダラララ・・・」の歌い出しでずっこける(笑)軽快なポップ3と同傾向の軽快なポップ4で、このシングルは結構ヒットしたようです。

5&6は68年になってからのシングルですが、レコーディング自体は1&2以前の67年2月で、3&4のヒットで急遽リリースするために引っ張り出したという印象です。
5はフォーキーで甘口なバラードで、ビートグループ的とは言いがたいです。
個人的にはよりJuventusらしさを感じさせるポップなビートナンバー6の方をA面にすれば良かったのにと思います。
ちなみに、この6で彼らは初めてファズを使用しています。

15は68年公開の映画のサントラ曲だそうで、サントラを担当した作曲家Angelo Michajlov作。
ハープシコードをフューチャーさせたポップビートで、この手のものとしてはなかなか悪くは無いと思います。

そして件の14&16ですが、両曲ともこれまでにリリースしてきた楽曲とは大きく印象を異にしており、SEやエフェクトを使用したどサイケなサウンドです。
14はJuventusの楽曲で最もダークでヘヴィな印象の曲で、ファズギターで奏でるオリエンタルなフレージングはFlamengoをほうふつとさせます。
16はおそらく当時最も人気のある曲で、後年多くのカヴァーがなされています。
68年のチェコスロバキアならではの熱気を強烈に感じさせてくれる逸品です。
この2曲の完成度は素晴らしく、当時のチェコスロバキアのビート/サイケでもベストの一つと言えますが、結果的にJuventusとしては異端な部類の楽曲になってしまったのは残念に思います。

13は69年にリリースされたKarel Černochの1stソロアルバム用にレコーディングされたBee Geesのカヴァーで、KarelにとってのJuventusとしての最後の録音になってしまいました。
楽曲自体は取り立てて特筆すべきものはありません。

そしてここからがKarel脱退後の音源になります。
7&8が4人編成での唯一のシングルで、両曲ともギターのPetr Rezek作です。
7はヴォーカルにほんのりとエフェクトがかけられた、美しいメロを持つほんのりサイケなビートポップです。
14&16と並んで個人的にお気に入りで、ちゃんとリイシューされて多くの人に聴いてもらいたい曲です。
8は7よりもややポップよりですが、やはりほんのりとサイケなアプローチがなされており、エコーのかけ方などに独得の印象を感じます。

そして、Juventus最後のリリースになったEP収録曲が9~12で、こちらはリーダーのVladislav Heráčekの楽曲が中心になっています。
9はカントリー&ウエスタンのインストを下地にしたような妙なドライヴ感の楽曲で、つんのめるようなリフとほの暗い空気が印象的です。
10はオルガンのLadislav Tuček作でPetrがヴォーカルを取った非常に味わい深いバラードで、チェコスロバキアのグループらしいほの暗い空気を感じさせる美しい楽曲です。
11は、16とともに一昔前に出たオムニバスLP「Czechoslovakian Beat Vol. 1」に収録されていたこともあって、現在Juventusの楽曲で最も知られている一つだと思います。
かなり荒削りな印象のサイケ~フリークビートで、個人的にはよく69年の段階でこういう荒々しい曲の収録を当局が認めたものだと思います。
12はブルース的な重暗いサウンドで、この曲も11と同様の激しさがあり、当時のチェコスロバキアの若者の怒りを感じずにはいられません。



このうち、Karel時代の音源が以下のCDで聴くことができます。

a406.jpg

1)Karel Černoch/Pop Galerie (Supraphon SU 5775-2)`06
(画像左)1・3~6・13・14・16収録
2)Karel Černoch/Docela Obyčejné Písně (同 SU 6039-2)`11 *2CD
(画像右)1・3~5・13・15収録

一応言っておきますが、John Entwistleのソロのベストではありません(笑

どちらかで言えばダントツ1)がおすすめで、Karelが歌っていない2、そしてサントラの15以外のKarel時代全曲を聴くことができます。
2)は15が収録されているのがポイントですが、Juventusの最高傑作である14・16が収録されていないうえに、2CDで1)よりもJuventus収録曲が少ない(6曲)のが難点です。

4人編成になった69年以後の音源は、現在ちゃんとリイシューされておらず、いくつかを某所で聴くくらいしかできない現状です。

現在のSupraphonの編集盤CDのほとんどが、基本的にシンガー単位で編集されるため、Juventusのように途中からシンガーが変わっている場合、それ以後が全くリイシューされないことが多く、グループの全貌を見渡すのには非常に不便です。
シンガー単位での編集を否定するわけではありませんが、こういうネタは基本グループ単位での編集をするべきだと思うので、今後見直して欲しいところです。



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