あるにもあらず 過ぐるわが身は

東欧・北欧・中近東など世界の60's Beat/Psych、その合間にコミックなどを紹介しています。 こっそりとやっていますので、こっそりとお越し下さいませ(笑 

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*解散に関しての記述の間違いの修正など、大幅に加筆予定です。


さて、予定通りころころgifを下げますよ(笑

今回はチェコ60'sでは最も有名なグループの一つMatadorsです。
「Nuggets2」など編集盤にも収録されることが多いので、聴いたことがある方もいらっしゃるのではと思います。

65年にOtto Bezloja(B)を中心に結成したFontanasから、若干のメンバーチェンジを経てMatadorsとグループ名を変更。
彼らが活動初期に使用していたオルガンの名前(機種名?)「Matador」からとったそうです。
66年までは6人編成で、当初はわりとポップなビートスタイルでしたが、67年にVladimír Mišík(Vo)と Karel Kahovec(G.Vo) が脱退してViktor Sodoma jr. (Vo)が加入する前後に、ブルース・R&Bをベースにしたややダークなビートサイケスタイルに移行しています。
その67年から68年の解散までのラインナップは画像上左から時計回りにViktor、Radim Hladík (Lead G)、Miroslav "Tony Black" Schwarz (Ds)、Jan "Farmer" Obermayer(Or)、Ottoの5人編成。

Radimのシャープでカラフルなギター&Janのチープで重いオルガンを前面にした演奏と、Viktorの扇情的なボーカルスタイルの組み合わせは、当時のチェコのグループ連中の中でも最も過激でいかがわしい(笑)サウンドだったのではと思います。

Matadorsは国営レーベルのSupraphonにEP2枚・シングル2枚・アルバム1枚を残しています。
特にViktor加入後の音源はどれも魅力的で、UKビート/サイケのマニアの方にはたまらないマテリアルだと思います。


ちょっと話はずれますが、彼らのレコードをリリースしていたSupraphonについてちょっと。
旧共産圏では、だいたい全てのジャンルのレコードを国営レーベルが一括してリリースしていました。
旧チェコではSupraphonがそれにあたります。

a90.jpg

上の画像はEPのレーベル面なのですが、クラシカルで美しいロゴデザインですね。
個人的には最もお気に入りのレーベルロゴです。
その美しいレーベルロゴに対して、スリーヴの方はセンスがいまいちで、特にシングルとEPのジャケのテキトーぶりにはある意味感心してしまいます(笑
もっとも、それはチェコスロバキアに限ったことではないし、Olympicの2ndみたいにいいジャケもあったりします。
また、Supraphonは国内向けのLPには基本的に個別のジャケット写真のない、いわゆる汎用スリーヴに入れて発売し、海外輸出向けに個別のスリーヴのあるレコードをプレスしていたそうで、そういう事情からスリーヴ付のオリジナル盤はかなりレアだとか・・・。
当時の東欧のプレス技術は予想がつきますが、現在リマスターされたCDを聴いてみるとレコーディング自体はなかなかのクオリティーだったようで、国営レーベルでマスターを厳重に保管していたことが幸いしたのか、CD時代の現在では殆どの音源は驚くほどクリアーな音質で聴くことが出来ます。
最初にこのMatadorsのCDを聴いた時はびっくりしましたからね。


閑話休題、話をMatadorsに戻します。
個人的に、68年のアルバムの段階でこれだけのテンションと活力を持っていたMatadorsが、直後に活動を停止していることに疑問がありました。
考えてみると、どうも当時のチェコの情勢と密接な関係があるように思いました。
68年と言えば、「プラハの春」が謳歌されていたころ。
68年末までのチェコのグループの楽曲のアレンジやカバーの選曲などから察するに、当時は僕らの予想以上に自由な空気があったようです。
そしてそれは68年末にはソ連を中心にした他の共産国の介入によってあっけなく潰えてしまうのですが・・・。
69年以後はSupraphonでも、レコーディングスタジオに検閲官が常時居座っていたそうで、そのような厳しい監視下の中でMatadorsのような扇情的なサウンドを認可されることは、ほぼ不可能だったのではないかと思われます。
彼らの唐突とも言える活動停止はそこら辺に理由があるのではないかと。
ジャズの仮面でカモフラージュしたBlue Effectで活動していくRadimと初代ボーカルのVladimírはまだラッキーだったでしょう。
一番わりを食ったのはおそらくViktorでしょうね。
調べた範囲では68年末のApollobeat以後は、俳優としての道もあったようですが、ボーカリストとしてはほとんどゲスト参加に終始しており、Matadors時代のいかがわしい扇情的なボーカルスタイルを使えなくなってしまったようです。

プラハの春と共に散って行ったと言える、そういう意味では象徴的な存在かもしれませんね。


Matadorsの公式音源は、モノラルバージョンなどの細かい事を除くとほぼ全てCD化されています。
このCDでチェコでの公式録音曲のほとんどが聴くことが出来ます。

Matadors (チェコBonton 71 0244-2)`95

a81.jpg
a82.jpg

ちょっと写真が不鮮明ですみません(汗
タバコの吸いすぎかな(笑

唯一のアルバムを含む、68年のラストシングルを除く彼らの残した音源を時代順に並べてあります。
1~4が66年のEP、5・6が同年のシングル、7・8は67年のオムニバスLPに収録されたもの、9~12が68年のEP、残りが68年のアルバム全曲です。

1~6が6人編成時代(VladimírとKarelがボーカル)の録音で、ここだけでも当時の音楽の進化のすごさを垣間見せてくれます。
しかし、R&B系のグループって、Farmer John好きよね(笑
個人的にはこの曲自体があんまり好きじゃないので、このCDはもっぱら2曲目から聴いています(笑
2・5はオリジナルで、まだ一般的なMatadorsのイメージはなく、かなり素朴でポップな曲です。
6あたりからファズが登場して、ぐんぐんサイケな方向に向かっていきます。
7・8は67年なのでViktor加入後ですが、作曲が前任ボーカルのVladimírによるもので、どちらが歌っているのかはっきり確認できていません。
たぶんViktorが歌ってるんじゃないかと・・・。
もうこのあたりになると彼らの持ち味の扇情的でカラフルさとダークさが混在したサウンドになってきています。
8はRadimのシャープなファズギターが炸裂する必殺ナンバーで、お気に入りです。

陰鬱なオルガンが印象的な9(チェコ語)、まさに代表曲のいかがわしいR&Bサイケ10、Manfred Mannバージョンより遥かにエロいアプローチのナイスカバー11、10の兄弟のような作風のこれまたシャープな12、このEP制作時は創作上のピークだったのではと感じます。
10はアルバムに収録されているバージョン13とはミックスが違っていて、ボーカルが少し違うような気がするし、アルバムバージョンにあるファーストヴァースのへたくそなコーラスが入っていません。
Nuggets2に収録されているのはアルバムバージョンの方で、ライナーにはこちらの方がいいと書いてあるのですが、僕はコーラスが入っていないEPバージョンの方がViktorのいかがわしいボーカルが引き立ってかっこいいと思います。

そのアルバムの1曲目13、僕がナゲ2で初めて聴いた彼らの曲なのですが、実はその時点ではあんまり好きじゃなかったんです(笑
その後、最後にちょっと紹介するオムニバスでEPバージョンを聴いてから、このCDを急いで買ったのでした。
個人的にはあのコーラスは微妙だと思うんですよ(笑
14・16・20・22はオルガンのJan作で、キーボードプレイヤーらしいメランコリックな作風ですが、意外にもMatadorsの演奏に妙にマッチしていてなかなかに魅力的で、さり気にこのアルバムでの空気を支配しているように感じます。
ちなみに20は9の英語バージョンです。
カバーの19は、Radimのワウギターが炸裂するスピード感のあるナイスカバー。
21の変幻自在のプレイも出色です。
Radimはチェコのギタリストの中では圧倒的にセンスがいいと思います。

全24曲、オリジナルの出来はいいし、カバーもなかなかいいので長く聴いていける1枚だと思います。
残念ながら現在は廃盤ですが、わりと日本でも出回っていると思いますので中古でも新品でも入手できると思いますし、同じ内容のもの(と言うかカウンターフィット)がWorld Psychedeliaから出ていますので、何らかの方法で入手は可能だと思います。

このCDに収録されなかった(というか収録時間不足で入れられなかった)2曲は以下のオムニバスに収録されています。

V.A./ Big Bit 1968-1969 (チェコBonton 71 0606-2)‘98
収録曲:Get Down From The Tree(10と同じ)、Zlatý Důl(9の別バージョン) 、Láhev Kalorií(未収録曲)

これはちょっと入手が難しいかもしれません。
僕もまだ入手できていなくて、CD-Rでしか持っていません。
このオムニバスについてはまたいずれ紹介したいと思います。


そうそう、ようつべ情報を。
当時のTV番組に出演した時のものらしき映像で11をリップシンクでやっています。
Viktorの美川○一ばりのアクションは必見です(笑
あと、英米の音楽番組の影響か、演奏終盤にメンバー自身で徐々に機材を片付けて行って、演奏が終わった段階でステージをすっきりさせてしまうのもバカバカしくていいです(笑


最後に、Matadorsに関する苦い思い出を。
某ショップのリストにMatadorsのCDが載っていたのですかさず購入したのですが、届いてみたら同名のデンマークのグループでずっこけてしまいました(笑
しかも好みじゃなくてダブルショックでした(笑
こういうほかにもありそうな名前のグループのCDを買う時は、よくキーワードを確認してから購入しましょう(笑



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コメント

社会主義体制下チェコの“自由な”音楽シーン

『プラハの春』以前から、チェコのロックシーンは花盛りだったんですね。このバンドも68年に活動停止したといっても、以降は当局に目をつけられない範囲での形を変えての活動は続けられた、ということなんですね。あの時代の東欧諸国には自由の一かけらもなかったかのように語られるのは、『真っ赤』なうそだったんですね。

  • 2013/10/10(木) 17:31:36 |
  • URL |
  • 又ドール #B9Yi/NOo
  • [編集]

†又ドールさん
初めまして、コメントありがとうございました。

共産主義時代の当時の東欧圏にこういうグループが存在していたことは、遠く離れて情報もほとんどない日本人からすると驚きですが、その国の当時の政策や状況などで違いはあるものの、アルバニアを除く7カ国全てで活発なシーンがあったのでした。
当局からの制限が非常に厳しかったソ連でさえも。

そんな自由はなかったというのがうそだったと言うよりは、政治的にも禁止するわけにはいかなかったというのが実情のようです。
高校生の身分で車を乗り回せたアメリカなどとは違い、共産国ではそういう楽しみも希望もほとんどなかったわけで、コミュニズム的には本音を言えば禁止したいのはやまやまだったものの、そういう楽しみというか潤いまで奪い取ってしまうと、国民(特に若い人)が無気力化する可能性が高かったため、ある程度の制限はあるものの黙認せざるを得なかったようです。

実際、それぞれ大国でも裕福でもない国々としては、こういったポップミュージックのレコードが良く売れていたと言う事実があります。

平和な国に生まれ育った僕らではうかがい知れないほど、かの国々では生きていくうえで大切なものだったのだと思います。

旧東欧共産圏のロックには、欧米諸国や日本のそれとはかなり違う、膨大なエネルギーの放出があって、僕はいつも圧倒されつつ愛聴しています。

又ドールさんも、そのエネルギーのひとかけらをぜひ。

P.S.現在左目がかなり見えにくい状態で、一応確認しながら書きましたが、どこかおかしなところがあるかもしれませんがご了承下さい。

  • 2013/10/11(金) 14:05:55 |
  • URL |
  • Graham #rB4BsSMs
  • [編集]

禁輸?

こういう音楽がが当時の日本に伝わって来なかったのは、政府が“輸出を禁止”したからなのでしょうか?でも国営レーベルが発表しているということは一応国が認めているわけだし

ロックではないのですが、ポーランドのアイドルグループFilipinkiが60年代に米国や英国に公演に行っていることや、これも最近の新聞に載ってましたがザ・ピーナツの『恋のバカンス』がソ連で大ヒットしたことなど当時のソ連を含む東欧諸国が西側とのポップスの国際的交流を禁じていたわけではないことも、最近になって知りました。

ところで米国で高校生が車に乗れるのは『自由のシンボル』というより公共交通機関が発達していないからではと思いますが…

  • 2013/11/28(木) 17:58:34 |
  • URL |
  • 又ドール #nOuTEa6s
  • [編集]

†又ドールさん
お返事が遅くなって申し訳ありません。

>輸出を禁止
その国によって若干状況は違うみたいですが、当時の旧東欧共産圏ではその圏内だけでなく、旧西ドイツなどの西側諸国にも輸出していたようですし、80年代には西ドイツを経由して日本にもMatadorsなどのSupraphon盤が輸入されていたようです。
また、Olympicはエド・サリヴァン・ショウへの出演を打診されたこともあります(チェコ側のプロモートの不手際で実現はしていませんが)し、東欧圏だけでなく西側でもツアーを行っていますし、Matadorsは66・67年にスイスへツアーに出ていたり、ポーランドのCzerwone Gitaryなどはイギリスにファンクラブがあったそうです。
そんなわけで、スポーツなどと比べるとそれほど積極的ではなかったとは言え、西側諸国に向けてもそれなりにアピールはしていたようです。
また、ハンガリーのOmegaのように、逆に西側のグループの東欧圏のツアーでのサポートをしたグループが目に留まって、外に知られるというパターンもちらほらあります。

実は、日本でもわずかながら旧東欧圏のポップミュージックのレコードはリリースされていました。
ただ、ほとんど売れなかったようですが。

>米国で高校生が車に乗れるのは
そうかもしれませんが、西側の日本や他のヨーロッパの国々でも、一般的な田舎の高校生が車を所有できたわけではありませんよね。

自由で裕福で、若者にとってさまざまな選択肢があったと言う事を車で例えただけです。

  • 2013/12/24(火) 14:34:15 |
  • URL |
  • Graham #rB4BsSMs
  • [編集]
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